【ドリトル先生】ドリトル先生100周年!ついに月に上陸するドクター・ドリトルの大冒険【ドリトル先生月へゆく】【小学校中学年以上】

2024年2月29日

広告

ドリトル先生月へゆく ヒュー・ロフティング/作 井伏鱒二/訳 岩波少年文庫

巨大な蛾に乗って地球を飛び立ったドリトル先生は、月に到着しました。トミー、チーチー、ポリネシアとともに、不思議な月世界の探検が始まります。100年前の動物と話が出来るお医者さん、ついに月へ進出です。

ドリトル先生月へゆく  【ドリトル先生シリーズ 8 】  ヒュー・ロフティング/作 井伏鱒二/訳 岩波少年文庫

<ヒュー・ロフティング> 1886〜1947年。イギリス生まれ。土木技師を経て、1912年アメリカで結婚し、文筆活動に入る。著書にドリトル先生シリーズ。 

 ドリトル先生シリーズ第8巻は、ついに月にたどり着いたドリトル先生一行の月世界探検です。初版は1928年。この時代は、宇宙のことなどは何もわからなかった時代です。でも、1903年12月17日にライト兄弟が有人飛行機の飛行に成功したばかりですから、おそらく今よりもずっと空への憧れが強かったでしょう。

 120年かそこらでこんなにカジュアルに飛行機で移動できるようになったのですから、人類ってすごい。

 ドリトル先生一行は、巨大な蛾ジャマロ・バンブルリリイの背に乗ってついに月に到達しました。誰かがドリトル先生たちを月に導いたのです。
 ところが、それらしい生物はいません。ところが、いつも誰かに見張られているような、奇妙な視線は感じます。ドリトル先生とトミーたちは、月の探索をすることにしました。

 すると、月の生物たちは、ドリトル先生の想像を超えた進化を遂げていることがわかったのです……

 と、いうのが今回のあらすじ。

 100年前のお話なので、月のことは実際にはまったくわかっていませんから、すべてが空想です。SFと言うより、ファンタジーに近いお話です。

 この物語のなかでは、月は、火山の噴火などの地形変化で地球の外に飛ばされてしまった地球の一部だと言うことになっています(たぶん、当時の空想小説で流行した設定なのでしょう)。ですから、大昔に地球にいた生物たちが地球外に飛ばされて独自の変化をとげたと言う物語です。

 月世界は、ロフティングの完全な空想の世界なので、現実にはないような生物がたくさん出てきます。

 植物たちにも感情や言語があり、他の生物たちと連絡を取り合いながら遠くの情報を得ることが出来たり、相互にコミュニケーションがとれることもわかってきました。

 子どもの頃はただのファンタジーとして読んでいましたが、今読むと、こういうの、インターネットにすごく似ています。
 個々は小さな生き物ですが、相互に情報を交換することで遠くのことも知ることができると言うわけです。まさにSNS。

 ドリトル先生はこの植物たちの言葉を学び、意思疎通できるようになりました。

 すると、植物しかいないように思えた月世界にも動物がいるらしいことがわかっています。みんな、知らない世界から来たドリトル先生たちを警戒して、隠れて見張っていたようです。

 自分たちで月まで連れてきておいて、隠れて見張る……!
 おくゆかしいにもほどがありますね。そんな生活が半年近く続き、ようやく、ドリトル先生は、自分たちをここまで招いた人たちに会うことができました。

 彼はオーソ・ブラッジ。チーチーの昔話に出てきた原始の人でした。

 この展開、たとえて言うなら浦島太郎に実際に会えました、くらいの驚きなんでしょうね。地球の起源と月世界と言うふたつの要素がからみあった摩訶不思議なストーリーです。

 この令和の時代に読むと、月世界の描写は単なるファンタジーなのですが、アメリカがアポロ11号で1969年7月20日午後4時17分(アメリカ時間 夏時間)に月面着陸するずっと前のことですから、何もわかっていなかったと考えると夢がありますね。

 それでも、望遠鏡などで、月の、地球に見せている側のことはなんとなくわかっていたようで、植物や生物がいるのは裏側と言うことになっています。

 ライト兄弟が始めて人間を乗せて飛行機を飛ばした日を考えると、月面到達までのスピードがすさまじいですね。そんな速度で進歩したのか! という驚きがあります。
 人間の空へのあこがれ、月へのあこがれは強かったのですね。

 こんなに進歩しているのに、分野によってはまだまだの部分もたくさんあって、子どもの頃は大人になった時代にこんなふうになっていると想像したかしら、と思い出していました。

 近眼とか白髪とかは、大人になったら治療法が見つかってなくなっていると思っていましたし、小型の自動翻訳機みたいなもので、もっと自由に会話できるようになると思っていました。昔のSFで語られていた21世紀は、なんだかもっとすすんでいたのです。

 「ドリトル先生月へゆく」がまだSFだった頃に思いをはせながら読むと、別の感慨があります。人間は進歩してきたんですね。

 この月シリーズは、「月からの使い」「月へゆく」「月からかえる」の三部作となっていて、シリーズの中でもかなりのボリュームになっています。当時の空や宇宙への憧れがぎっしり詰まった三冊です。

 今、読むと単なるファンタジーであり、「ふーん」と読み流してしまうこともできるのですが、書かれた時代から、人類の飛行機~ロケットの歴史をさかのぼると、なんともいえない感慨深いものがあります。

 そして、かわらないのは、ドリトル先生たちの心。生物や環境の壁を越えた思いやりや、理解することコミュニケーションすることへのかぎりない欲求でしょう。

 実際問題として、人間は他の生物を何も殺さないで生きてゆくことはできません。今回、月世界では動物だけでなく、昆虫や植物にも心があり、言葉があり、意思疎通できると言う描写が出てきたので、ここまでゆくと「食事をするときにどう気持ちの折り合いをつけるのだろう」と言う、素朴な疑問がわきます。

 わたしは、「かわいそうだから」と言う理由で肉や魚を食べない主義ではありませんが、時々体調のために野菜だけを食べるときがあります。そういうときに、「野菜にも感情があるかもしれないよ」とご指摘をいただくことは、わりとあります。

 ドリトル先生を読んで育った人間なので、わたしだって子供の頃、そんなふうに考えたことがありますとも。

 けれど、そう考えるからこそ、自分の業を減らすのではなく、受け止めて生きてゆけばいいと思って、どしどし食べています! つまり、感謝して、おいしく食べるという事です。(かっこいいこと言おうとして、結局それか)

 アレルギーの人が受け付けないものを食べなくてもいいし(無理だし)、体調が悪いときに無理して食べることもないと思います。ただ、感謝して食べる。それならできるから。

 結局、そういう、ささいな「できること」を積み重ねてゆくくらいしか、できないんじゃないかなと思っているのです。

 実際、ドリトル先生は誰も否定しないのです。尽きぬ泉のような知識欲と好奇心で、すべての生物と意思疎通を図ろうとします。学会での名声欲や、金銭欲、出世欲みたいなものはみじんもなく、そこにあるのは、ただただ「知りたい」「わかりあいたい」と言う欲求だけなのです。すがすがしいくらいです。

 周囲の動物たちは、そんなドリトル先生を見て、無欲な聖人のように扱うこともありますが、どうしてどうして強欲です。ただ、欲のベクトルが、一般的な人々とはまったく違うところにあるだけで。

 でも、ドリトル先生の「欲」には夢があります。ドリトル先生の夢見た世界は、作者ヒュー・ロフティングが夢見た未来だったのでしょう。

 100年前の人が夢見た世界を垣間見て、今、人類はどれほど進化しているのか、確認してみるのも感慨深いものです。

 ドリトル先生の暴走する知識欲が面白くて、淡々としている雰囲気なのに、読んでいるとわくわくしてきます。井伏鱒二の日本語は古風で美しく、ドリトル先生の「これはしたり」など、今ではあまりお目にかかれない言い回しがレトロでおしゃれです。

 わたしは純文学をあまり読まず、ファンタジーやSFなど「くだらない」と言われ続けた大衆小説ばかり読んできたオタクなのですが(しかも、あいだに読書できない時期がかなりありました)、やっぱり昔の日本語は美しいなあと、純粋に感動します。

 もはや、ファンタジーになってしまった大昔のSFですが、令和の今、ぜひ、一度、お読みいただきたいです。子供の頃に読んだことがある人も、どうぞふたたび。新しい感動がやってくることまちがいなしです。

繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)

 ネガティブな要素はまったくありません。100年前の人たちの宇宙への憧れが伝わるファンタジーです。摩訶不思議な世界の物語なので、今回は食事シーンはそれほどおいしそうではありません。しかし、いついかなるときでもお茶をするのがイギリスのファンタジーなので、やっぱりお茶はします。

 読後は、あたたかいミルクティーとビスケットで、ほっこりしてください。
 週末やお風呂上りの和み時間に、100年前のSFをどうぞ。

 

商品紹介ページはこちら

 

 

この本の続きはこちら

お気に入り登録をしてくださればうれしいです。また遊びに来てくださいね。
応援してくださると励みになります。

にほんブログ村 本ブログへ

広告