【プリデイン物語】ブタ飼育補佐の成長物語。正統派ファンタジーシリーズの完結編【入手困難】【重版希望】【小学校中学年以上】
タランたちは、ついにアローンとの最後の戦いのときを迎えます。懐かしい人々との再会、悲しい別れ、激しい戦いを経て、タランは、多くのことを経験し、乗り越え、そして……
この本のイメージ 深い悲しみ☆☆☆☆☆ 困難を乗り越える☆☆☆☆☆ 堂々の完結編☆☆☆☆☆
プリデイン物語5 タラン・新しき王者 ロイド・アリグザンダー/作 神宮輝夫/訳 評論社
<ロイド・アリグザンダー>
アメリカ合衆国の児童文学作家、ファンタジー作家。
ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。フィラデルフィアの教員養成大学を中退し、19歳で第二次世界大戦に従軍。ヨーロッパで戦役を終え除隊した後、パリ大学で学ぶ。1946年に帰国し、翻訳や編集の仕事をしながら小説を執筆。長編ファンタジー『プリデイン物語』シリーズの最初の2冊「タランと角の王」「タランと黒い魔法の釜」は、ディズニーアニメ「コルドロン」(Black Cauldron, 1985年)の原作。(Wikipediaより)
ロイド・アリグザンダーの正統派ファンタジー「プリデイン物語」、ついに完結編です。
プリデイン物語は、あのディズニーランドの伝説のアトラクション「シンデレラ城ファンタジーツアー」の原作になったこともあり、知る人ぞ知る名作でした。
現在も、3巻までは入手可能のようです。4巻と5巻は入手困難本となっており、中古か、図書館で読むしか方法がありませんが、紛れもない名作です。
ただ、4巻と5巻は、3巻までと違ってかなり深刻な話になってゆくので、「子供向けではない」と言う判断から重版されないのかもしれません。
とくに5巻は、愛着のあるキャラクターとの哀しい別れが続き、「え、この人ここで死んじゃうの?!」と衝撃をうけます。3巻までの明るい雰囲気が好きな方はダメージを受けてしまうかもしれません。
※評論社さまに重版の予定はないか問い合わせしたら、お返事をいただきました。純粋に採算の理由で、とのことです。ハードカバーですからねえ…… せめて電子化していただけたらうれしいですね。丁寧なお返事、ほんとうにありがとうございました。2021.5.20追記)
とはいえ、3巻までのお話でも、重要キャラクターが死ぬ場面など、後半の重苦しさを匂わせる要素はありました。むしろ、作者が描きたかった世界はああいう方向性だったのでしょう。
確かに3巻までで終わったことにしておくと、タランたちがずっと、カー・ダルペンでエイロヌイ王女や仲間たちと末永く幸せに暮らしましたとさ、みたいなハッピーエンドに感じられて、すごくいいんです。
少年の冒険譚としては、ここで終わっていてもいい感じです。
ここから先はタランが大人になろうとするお話なので、エイロヌイ王女の活躍も少なくなりますし、つらい展開が続きます。
4巻は哲学的な要素が多く、内面を掘り下げる内容となっていますし、5巻はかなり凄惨な場面もあります。繊細な方は万全の体勢のときに読んだほうがいい内容です。
しかし、伝えようとしている内容は深く、心に響く物語です。最終巻は、いままでのエピソードが全部ひとつになって、懐かしい人々も全員登場のオールスターキャストになっているので、できれば全巻通して読むことをおすすめします。
タランの自分探しの物語だった4巻に続いて、5巻は暗黒の王アローンとの最終血戦となります。
アローンの魔術で奪われた聖剣ディルンウィン。不死身の戦士たちを殺せる唯一の武器を奪われ、ついに、タランたちは絶体絶命の危機に。
アローンとの対決は避けられないと知ったタランたちは、アローンの居城のあるアヌーブンに向かって旅立ちつことになります。裏切りと陰謀に満ちた旅の途中で、大切な人々を次々と失うタラン。
しかし、失うばかりではなく、いままで関わってきた人たちが聖なるブタ「ヘン・ウェン」の旗の下に続々と終結し、彼らに力を貸してもらいながらタランたちは前進します。
そして、タランたちは最後の戦いへ……
と、いうのが今回のあらすじ。
海外の児童文学でよくある展開なのですが、最後に主人公が魔法を手放します。というか、魔法の世界そのものが主人公から遠ざかります。それは、少年の時代の終わりや、大人への成長の比喩でもあります。
それは、ある時代の人生観としては正しかったのだと思いますが、わたし個人は、人は必ずしも子供時代を無理やり棄てる必要はないのではないか、と思い始めています。
子供らしい想像力や空想から生まれた優れた発明は数知れません。子供らしい柔らかな心だからこそ乗り越えられる問題もたくさんあります。ものわかりのいい「大人になる」ことが、何もかも正解とはかぎらない時もあります。
様々な人の様々な生き方が認められて、のびのびとした心で生きてゆけることが、本当の幸せなんじゃないでしょうか。
かつて、「小説」がこの世に生まれたとき、「なんと低俗でくだらないものか」と言う世間からの評価でした。小説家なんて言ったらさげすまれたのです。その後、この世に「漫画」が生まれたとき、やはり同じ扱いを受けました。
漫画が生まれたときに、漫画と言う「後輩」ができることで先輩の小説の地位が少し上がったのです。
けれども、小説の中でも漫画と同じように低く見られるジャンルがありました。
それが、ファンタジーとSFです。
その昔、ファンタジー小説とSF小説は「漫画みたいなもの」という扱いだったのです。
そんな時代のあと、アニメーションブームが起きました。
アニメーションは、漫画の後輩です。
ブームのときは「アニメばっかり見てないで、本でも読みなさい」とアニメファンは叩かれました。
アニメーションがブームになったことで、漫画の扱いが一段高くなりました。それにより、ファンタジーやSF小説の地位もほんのすこし上がりました。
そして、次に生まれたのはコンピューターゲームです。コンピューターゲームと言う後輩が生まれたことで、アニメーションが一段高く扱われるようになりました。そして、世間は「ゲームばかりして」とゲームをさげすむようになりました。
コンピューターゲームの後輩はインターネットです。そして、世間からはインターネットが目の敵にされるようになりました。
こんな感じの繰り返しが続いています。児童文学やファンタジー小説が大好きなわたしにとって、ファンタジー小説も、漫画もアニメもゲームもインターネットもすべておんなじに大好きです。だって、歴史が同じなのですから。(いや、いくらババアだからと言って、小説がこの世に生まれたときから生きてるわけじゃありませんよ。そこは、さすがに。)
そう考えると、人類の進化は「自由な子供心」が育ててきたように思えます。
むやみに「大人になる」「子供を卒業する」「自立する」と、しゃかりきになることが正解なのか、わたしには言い切れないのです。心に子供がいたって、いいじゃないですかねえ。
この物語では、夢にあふれた少年時代を捨てて、みずから苦難に満ちた道を選ぶことこそが王者であり、それこそが真の成熟した人間の幸せなのだ、と言うハッピーエンドです。
タランは幸せになりますし、ちゃんと幸福な話としてお話は終わっています。
タランは数多くのものを背負います。しかし、彼はそれを「犠牲」だとは思っていないので、そこが彼の強さです。
そして、傍にはちゃんと支えてくれる人がいますしね。彼が手放した子供らしさは彼女が大切にとっておくと思います。それは、彼の掴み取った幸せなのです。
正統派ファンタジーなので、最後までまっすぐしたお話です。深くて重くて哀しい部分もありますが、心に響きます。
いい話です。
古書ならたまに入手可能ですし、図書館にはありますので、ぜひ手に取ってみてください。
※この本は現在、Amazonでは入手困難です。古書でお求めになるか、図書館、書店にある場合があるので、お近くの書店の書店員さんにお尋ねください。
繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)
ヘビーです。いままでの登場人物が全員登場する総決算ですが、愛着のあるキャラクターとの哀しい別れが続きます。精神的に負担が大きい展開なので、万全のときにお読みください。けれども、HSPやHSCのほうが多くのメッセージを受け取れると思います。名作です。
ラストはハッピーエンドです。タランは幸せになります。
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