【図書館に児童室ができた日】子どものための図書室に力を尽くした女性を描いた絵本。【アン・キャロル・ムーアのものがたり】【5歳 6歳 7歳】

2022年7月31日

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図書館に児童室ができた日 アン・キャロル・ムーアのものがたり  ジャン・ピンポロー/文 デビー・アトウェル/絵 張替惠子/訳  徳間書店

1870年ごろのことです。アメリカ合衆国メイン州のリメリックという町にアン・キャロル・ムーアという女の子がいました。自分の考えをしっかりともった彼女は、本が大好きでした……

この本のイメージ 子どものために本を☆☆☆☆☆ 児童室の成り立ち☆☆☆☆☆ 女性の偉人☆☆☆☆☆

図書館に児童室ができた日 アン・キャロル・ムーアのものがたり  ジャン・ピンポロー/文 デビー・アトウェル/絵 張替惠子/訳  徳間書店

<ジャン・ピンポロー>
アメリカ合衆国テキサス州出身の作家、編集者。ブリガムヤング大学大学院修了後、雑誌編集者をつとめ、やがてフリーランスのライターとして活躍。絵本「図書館に児童室ができた日―アン・キャロル・ムーアのものがたり」がはじめての子どもむけの作品

<デビー・アトウェル>
アメリカ合衆国在住の絵本作家。1953年生まれ。アメリカの文化や歴史をテーマにした絵本を数多く描いており、メイン州リメリックに近い町で、作家の夫といっしょにくらしている

<張替惠子>
日野市立図書館で児童サービスを担当した後、1993年から公益財団法人東京子ども図書館に勤務。現在常務理事・事務局長。ブックリストの編集や書評などに携わる。図書館や学校で、お話やブックトークを数多くおこなうとともに、各地で研修講師として指導にあたる。武蔵野大学非常勤講師

図書館に児童室ができた日 アン・キャロル・ムーアのものがたり  ジャン・ピンポロー/文 デビー・アトウェル/絵 張替惠子/訳  徳間書店

 図書館の児童室をつくるために尽力した、アン・キャロル・ムーアの伝記をわかりやすく描いた絵本。
 原題はMISS MOORE THOUGHT OTHERWISE. 原書初版は2013年。日本語版も2013年です。

 わたしは、体調を崩したのをきっかけに児童書と絵本の魅力を知った人間なので、子ども向けの本や絵本を本格的に読み始めたのは最近です。

 恥ずかしながら、この偉大な女性のことを知りませんでした。司書になる方は、必ず習うくらいの偉人だそうです。

 アメリカのメイン州で生まれ、家族の愛に包まれて育った本が大好きな女性、アン・キャロル・ムーアは、突然のインフルエンザで両親を失ってしまいます。

 しかし、自分の考えをしっかりともっていた彼女は、やがてニューヨークのプラット学院図書館学科を経て図書館で働くことになります。

 そこで彼女は、図書館に子どものためだけの「児童室」を作ったのでした。

 昔は、子どもは今よりもずっと、「小さな人間」と言うより動物に近い生き物として扱われていましたから、貴重な本が保管されている図書館に子どもを入れることで、子どもが本を汚したり破損したりすることを恐れ、子どもたちの立ち入りを禁止する図書館は多かったのです。

 そんな時代に、アン・キャロル・ムーアは、子どもたちが本を読んで学ぶことができるように図書館に「児童室」を作ったのでした。

 わたしの幼い頃は、まだまだ自治体の図書館にはきちんとした児童室はありませんでした。大人向けの本棚の奥の、端っこのほうに少し、子ども向けの本のコーナーがあるだけだったのです。

 ですから、学校の図書室は楽しいけれども、自治体の図書館に行くのにはかなり勇気がいることでした。
 子どもしかいない学校図書室と違い、一般の図書館には体格の大きい中学生や高校生もいますし、ひげもじゃの大人もいます。

 小さな子どもにとっては、少し怖いのです。

 しかし、子どもにとって、本を読むのは大切なこと。また、家庭環境によっては、本をたくさん買ってもらえない子もいます。そんなとき、強い味方になってくれるのが図書館です。

 今では、日本でもすばらしい「児童室」があります。子どものサイズに合わせた机と椅子、心をこめて選び抜かれたたくさんの本、楽しいイベントの数々……。

 それらの原型がすべてこのアン・キャロル・ムーアによって作り出されたものだったのでした。

 図書館には、子どもたちが気軽に入れて楽しく本を借りることができる「児童室」が必要だ━━これは、子どもの視点から図書館を見ることができて、はじめて気づくことです。最初にこの発想に至ったのが女性だと言うのも、考えてみれば自然な話。なぜならば、昔は、女性も子どもと同じように、学問の場から遠ざけられていた存在だったから。

 「女には本なんて必要ない」「読書をしている暇があったら、料理や裁縫をおぼえなくては」。
 今の方が想像するよりはかなり最近まで、社会はこんなふうでした。1960年代くらいまでは、裁縫は女性にとって大きな負担であると同時に必要な技術だったのです。店で売っているのが服ではなくて布だったからです。

 女性は結婚するまでに料理や裁縫、掃除など、家事全般をきちんとできるようにしておかないといけない━━それは、今の若い方々の二世代前くらいまでは、かなり強固にあった社会通念でした。女性が社会に出て働くことは「はしたないこと」とされ、お見合い写真の釣り書き(履歴書のようなもの)に、「家事手伝い」と書くのが上等とされていた時代があったのです。(今ならニートと言われるでしょう。時代は変われば変わるものです)

 「家事手伝い」と言うのは、「お母さんのお手伝いをしながら、料理やお裁縫、お掃除の仕方を教えてもらっています」という意味で、「あれこれと難しい小理屈を言わない、素直で家庭的な娘です」と言うアピールでした。実際はきちんとした職場で働いていても、働いていないことにしたようなこともあったのです。いやもう、本当につい二世代~三世代前くらいまではこんな感じですよ。時代の波ってすごい。

 アン・キャロル・ムーアは100年以上前の人ですから、彼女の生きた時代は、もっと厳しい。
 この時代のふつうの女の子は、12歳くらいからは勉強というよりも行儀作法やお裁縫、お料理の練習をすることになります。

 昔の児童文学を読んでも、女の子はだいたい14歳くらいで結婚の話を始めますから、子ども時代が恐ろしく短いのです。
 16歳くらいで結婚すると、あとは子育てと家事で日々の時間はすべて使い切られます。ミシンも洗濯機もない時代では、ひとつひとつの家事はひどく時間がかかったものでした。

 そんな時代に、小さな頃から本が大好きだった女性というのがどれほど「変わり者」だったか。
 アンにとって幸いなことに、両親はそんなアンを受け入れてくれる人たちでした。ところが、その両親をインフルエンザであっと言う間に失ってしまいます。

 哀しみから立ち上がったアンは、ニューヨークに出て念願の図書館で働き、子どもたちの読書体験のために力を尽くすのでした。

 アン・キャロル・ムーアは、「ピーターラビット」のピアトリクス・ポターや、「メアリー・ポピンズ」のP.L.トラヴァースとも親交があり、日本の児童文学の礎を作ったと言われる、石井桃子先生にも多くの影響を与えました。

 この石井桃子先生というのも偉大で、朝の連続ドラマにしてほしいくらいの人です。「ピーターラビット」や「クマのプーさん」の翻訳をし、「ドリトル先生」の翻訳を井伏鱒二先生に依頼しと、児童書にこの方の名前があれば「間違いない」と思わせる方。彼女も、アン・キャロル・ムーアとアメリカで会い、帰国した後、日本に「かつら文庫」と言う家庭文庫を作ります。

 女性が本を読むことが歓迎されなかった、そんな時代に、貧しい家の子どもも裕福な家の子どもも、図書館で本を読めるよう尽力したアン・キャロル・ムーア。

 彼女の情熱的な活動を描いたこの絵本は、子ども向けといえどもかなりボリュームがあり、総ルビではありますが小さなお子さまがひとりで読むには、すこしがんばりが必要かも知れません。

 けれども、「本を読む」ことのすばらしさ、「児童室」と言う身近な場所のことをもっと知るためには、きっと役立ってくれると思います。

 この夏、アン・キャロル・ムーアの生涯に、少し近づいてみてはいかがでしょう。読み終わったときは、いままでよりずっと、本が好きになっていますよ。

繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)

 ネガティブな要素はありません。今よりもずっと、女性や子どもが本を読むことを歓迎されなかった時代に、読書のすばらしさを子どもたちに伝えるために力を尽くした女性の伝記です。

 きっと、図書館がもっともっと好きになります。

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