【石井桃子 子どもたちに本を読む喜びを】子供たちに本を読む喜びをくれた人。彼女の生涯を知ろう。【伝記を読もう】【小学校中学年以上】

2024年3月30日

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石井桃子 子どもたちに本を読む喜びを 竹内美紀/文 あかね書房 伝記を読もう13

「クマのプーさん」「ピーターラビットの絵本」の翻訳で知られる石井桃子は、日本の児童文学史、図書館史において彼女ぬきにしては語れないというほどの偉大な人です。今日は、そんな彼女の伝記をご紹介します。

この本のイメージ 伝記☆☆☆☆☆ 児童文学史☆☆☆☆☆ 図書館史☆☆☆☆☆

石井桃子 子どもたちに本を読む喜びを 竹内美紀/文 あかね書房 伝記を読もう13

<竹内美紀>
同志社大学法学部、松下政経塾、フェリス女学院大学大学院卒。博士(文学)。東洋大学文学部国際文化コミュニケーション学科准教授。2014年、「石井桃子の翻訳はなぜ子どもをひきつけるのか」(ミネルヴァ書房)で日本児童文学学会日本児童文学学会奨励賞を受賞したほか、石井桃子の翻訳研究についての論文が多数ある

<石井桃子>
石井 桃子(いしい ももこ、1907年3月10日 ~2008年4月2日)は、日本の児童文学作家・翻訳家。位階は従四位。「くまのプーさん」「ピーターラビットのおはなし」といった数々の欧米の児童文学の翻訳を手がける一方、絵本や児童文学作品の創作も行い、日本の児童文学普及に貢献した。日本芸術院会員。

 このブログでは、わたしが好きだった児童文学の読み直しや、最近出会って「いいな」と思った児童書や絵本のご紹介をしています。出版の年代はあまり関係なく、絶版本も紹介することがあります。(子どもの頃好きだった本などは、わりと絶版になっているのです。自分的には「え、この本が?」と言うような名作も最近は入手困難で驚いています)

 ただ、自分の好み優先なので、手薄になってしまうこともあるのです。たとえば、わたしは物語が好きなので、科学系や図鑑系が手薄です。

 でも、小さなお子さま向けの絵本だと、物語が好きな子だけじゃなくてかなりの割合で図鑑好きがいるんですよね。なので、時々、図鑑もご紹介するように心がけています。

 で、いままで手薄だったけど、絶対にファンがいるジャンルは「伝記」。
 わたしは子供のころ、伝記好きな子どもで、学校の図書室にある伝記シリーズを端から読んでいました。
 伝記は一人の人の人生を描いているので波乱万丈で面白く、また、偉大な人々は、小さな子どもの頃は案外優等生ではなかったりするので、子どもとしては励まされるのです。

 ただ、実際にあったことなので小説とちがい必ずしもハッピーエンドではなく、読み終わった後、哀しい気持ちになったりモヤモヤとした気持ちを引きずることもありました。先日ご紹介したガリレオ・ガリレイなどは、何百年も前のことなのに子供心に「どうにかならないものか」と思ったものです。(どうにもならないんですけども)

 そういう体験も含めて、小さな子どもにとっては貴重な読書体験です。
 伝記は、先人たちの体験から多くの知恵を得る、魔法の書のようなもの。身近な大人たちに質問しても答えてもらえないような人生の悩みに対する答えが伝記には書かれていたりもするのです。

 今回、ご紹介するのは「ピーターラビットの絵本」「クマのプーさん」の翻訳で知られる、石井桃子先生です。

 日本で児童文学を語るときに、この方を抜きにして語ることはできないくらいの偉大な方。わたし自身、きちんと伝記を読んだ事はなく、今回のこの子ども向けの本が初めてでした。

 石井桃子(以下敬称略)は埼玉県北足立郡浦和町(後の浦和市、現:さいたま市)常盤に兄1人姉4人のきょうだいの末っ子として生まれ、女学校から日本女子大学へと進みました。
 家は金物屋を営む旧家で父親は銀行の支配人です。

 この時代、女性は尋常小学校卒が一般的。女学校に行くだけでもすごいといわれる時代で、当時の高校が今の大学のような扱いで、当時の大学は今で言うと大学院のような感じでした。だから、女性で大学に行くというのは、たいへんなことでした。

 大学卒業後、第29代総理大臣犬養毅の三男犬養健と親しくなり、信濃町の犬養家の書庫整理をすることになります。
 1933年、犬養家でクリスマスイブに「プー横丁にたった家」の原書"The House at Pooh Corner"(西園寺公一から犬養道子や犬養康彦へのプレゼントだった)と出会い、感銘を受け、道子や康彦や病床の親友小里文子のために、プーを少しずつ訳し始めるようになりました。

 それをきっかけに、児童文学の魅力にのめりこみます。

 1934年6月から1936年6月まで新潮社に勤務、吉野源三郎や山本有三らの誘いを受け「日本少国民文庫」の編集にあたります。この「日本少国民文庫」の一冊に、宮崎駿監督の次回作だと噂される「君たちはどう生きるか」があります。(この本はこのシリーズの最終巻として企画されたのですが、じっさいにはかなり早くに出版されたようです。「君たちはどう生きるか」はまだ入手可能です。)

 その後、五・一五事件で犬養首相を喪った後、桃子は犬養家の許可のもと犬養家の書庫をど子もたちのための図書館「白林少年館」として開放します。それが「子ども図書館」の原点となりました。

 しかし、「白林少年館」は第二次世界大戦の足音とともに閉館してしまい、桃子は生きるために一時は農場や牧場で働きました。

 本の世界からかなり遠ざかっていた桃子でしたが、戦後、再び東京に呼ばれます。岩波書店から創刊される新しいシリーズ、岩波少年文庫の立ち上げに編集長として携わることになったのでした。そこで、「ナルニア国ものがたり」「指輪物語」の翻訳者である瀬田貞二と出会います。

 岩波少年文庫が軌道に乗るとアメリカに留学。アン・キャロル・ムーアの影響をうけ、カナダではリリアン・スミスからトロント公共図書館で図書館の児童室について学びます。

 帰国後は「赤毛のアン」の翻訳で知られる村岡花子たちと「家庭文庫研究会」を結成。
1958年、海外留学の体験を生かして、荻窪の自宅の一室に児童図書室「かつら文庫」を開きました。

 1961年9月からは、再び海外に渡り北米とヨーロッパを旅行し、英国でエリナー・ファージョンと出会います。あの、不思議な世界観のファンタジーを数多く生み出した、ファージョンです。

 そして帰国後、1974年の1月、「くまのパディントン」の翻訳で知られる松岡享子と「東京子ども図書館」を設立するのでした。

 こうしてまとめると、錚々たるメンバーが登場する激動の人生です。

 今回、調べてみてはじめて知ったのですが、あの太宰治とも交流があったらしく……太宰先生、石井桃子先生にちょっぴり恋心があったようなのです。でも、石井先生はまったく気がついていなかったと言うエピソードがあります。

 なんだかすごくわかるというか、(わかったつもりになっていたら失礼かもしれないのですが)、石井先生の人生からは、やわらかだけどゆるぎない強さみたいなものが伝わってくるのです。

 太宰先生にとっての胸キュンエピソードというのが、石井先生が白樺の木を薪にするために切ってた姿だと言うので(しかも人づてに聞いてその姿を想像してきゅんとしてるという)生命力の輝きみたいなものに惹かれたのではないかしら。それにしても後になって「私なら、太宰さん殺しませんよ」とおっしゃったらしいというのだから、石井先生男前過ぎる

 子たちのためにたくさんの素晴らしい作品を日本に紹介してくださった石井桃子先生。
 今回、あらためてたくさんのことを知りました。知れば知るほど魅力的な人です。

 おうちで過ごすほうがいいかもしれないこの夏、物語や図鑑も楽しいけれど、伝記を読むのもまたちがった楽しさがあります。たくさんの人の人生を擬似的に体験することができる伝記。親子で伝記を楽しんでみませんか。

繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)

 ネガティブな要素はありません。面白くて楽しくて良質な本を子どもたちのために、と言う想いで日本の児童文学と児童図書館の基礎を築いた人の情熱に満ちた人生が描かれています。

 歴史上の人物や有名な作家、翻訳家が続々登場し、当時の熱気や熱量が感じられます。

 

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