【ハイジ】伝説のアニメーションの原作!アルプスの大自然で育った少女と人々の交流の物語。【小学校高学年以上】

2024年2月13日

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アルプスの少女ハイジ ヨハンナ=スピリ/作 池田香代子/訳 いわさきちひろ/絵 講談社青い鳥文庫

両親を失ったハイジは、アルプスの山の上に住む、偏屈なおじいさんの元に引き取られました。誰もが辛い生活だと思い込んでいたけれど、ハイジの山の日々は驚きと幸せでいっぱい。そんなとき、叔母のデーテがハイジに奉公の話を持ってきて……

この本のイメージ かわいい☆☆☆☆☆ 大自然☆☆☆☆☆ 癒される☆☆☆☆

アルプスの少女ハイジ ヨハンナ=スピリ/作 池田香代子/訳 いわさきちひろ/絵 講談社青い鳥文庫

 宮崎駿監督で日曜日にアニメーション化された伝説の児童小説です。いろいろな出版社で、様々なバージョンがあります。
最近は、「ハイジ」を読んだことの無い子も増えたかもしれないと思い、紹介記事を書くことにしました。
記事を書くにあたって、もう一度読み直すとたくさんの発見があって、やっぱりこの時代の児童文学は面白いです。

ハイジが山にやってくる

「カルピス劇場」世代なら、誰でも知っているあらすじですが、一応ご紹介すると、スイスのマイエンフェルト、その山の上にたった一人で暮らす「山のおじさん」がいました。(アニメーションでの愛称は「アルムおんじ」)

 彼の元に、小さな子供の手を引いて、孫のデーテがやってきます。女の子の名前はハイジ。デーテの姪っ子で、「山のおじさん」のもう1人の孫でした。

 「山のおじさん」は、若い頃に荒れた人生を送ったり、軍隊に入って戦争に行ったりと、辛い過去がたくさんあって、たった一人で山の上で暮らしていたのです。「あんな人に小さな子供を預けるなんて」と、ふもとの村人たちは誰もが同情しました。

 けれど、天真爛漫なハイジは、すぐ彼と仲良くなり「おじいさん、おじいさん」と慕うようになりました。ハイジは羊飼いのペーターや、盲目のペーターのおばあさんなど、アルプスの人々と交流しながら、楽しい山の日々を送ります。
頑なだった「山のおじさん」の心は、ハイジの純粋な心で癒されて開かれていきました。

ハイジ、フランクフルトへ。

ハイジ
岩波版は上下巻です

 ところが、ある日、再びデーテがやってきて、ハイジに奉公の話を持ってきます。フランクフルトの大富豪ゼーゼマン氏が車椅子生活の娘クララの話し相手を探しているのです。おじいさんは大反対しましたが、デーテは半ば強引にハイジをフランクフルトに連れ去ります。

 そこで、ハイジはクララと出会います。病弱だけど心優しいクララは、あっという間にハイジと親友になります。
女執事のロッテンマイアさんは厳しく怖い人でしたが、ゼーゼマン氏のお母様、大奥様は教養にあふれ優しい人で、ハイジに読み書きを教えてくれました。ハイジにとって、都会のお屋敷の暮らしは辛いものでしたが、大奥様のおかげで高等教育をうけられたのです。

山へ戻るハイジ。

 後半は、まだ読んでいない方のために省略しますが、ハイジはやがて山に戻ります。

 そして、ハイジが架け橋になって、絶対に出会わなかったであろう、大富豪のゼーゼマン家とマイエンフェルトの人々は、大自然のもとで仲良く交流することになります。

 アニメーションで名シーンだった「クララのいくじなし!」は、アニメ独自のシーンだったのですね。けれど、「おじいさん、お山が燃えているわ!」は、原作のままです。たまねぎ状態でぶくぶくに着込んで山にやってきたシーンとか、導入部分はほぼ原作どおり。

 冒頭のハイジが、とにかくひたすらにかわいい。
デーテが「この子は歳のわりにかしこい」と言うのですが、かしこさよりも、明るさや可愛らしさ、天真爛漫さが際立つので、あとでじわじわと、「確かに賢いわ」って気づく感じの子です。
そして、このハイジが成長していくにつれ、周囲の人たちを幸せにしていきます。

深く流れるテーマ

 キリスト教圏の児童文学は、聖書が引用されている部分や祈りのシーンが数多く登場します。
この本には、重要なテーマの1つとして、キリスト教圏では有名な「放蕩息子のたとえ」が登場します。
(このたとえ話は、キリスト教圏の人たちの中でも理解できる人とできない人がいる話として有名です。「ちびゴリラのちびちび」と似た意味を含んだお話です)
ハイジは、「絵本のお話」として、無邪気にそれを読んでみせ、辛い過去から村人や教会を遠ざけていたおじいさんの心を開くのでした。

ハイジ
重厚な福音館版。かなり原作に忠実なので、クリスチャン向け

 仏教にも同様の思想はあるのですが、「愛」とか「許し」と言うものは、あくまで一方的なもので見返りは求め無いものという考えです。また、挑戦して失敗して学んだものに対する評価や「つらい経験は無意味ではない」と言う意味も含んでいると思います。
同時に正義の名の下に他者を裁くあやうさも示しているようにも思えます。
(キリスト教徒ではないので、解釈が間違っているかもしれませんが)

 「ハイジ」の物語の中で、「山のおじさん」の過去は伝聞に次ぐ伝聞で誇張されており、ほんとうのところは謎でした。ところが、村人は彼の人格を決めつけ、コミュニティから締め出してきたのです。(もちろん、心を閉ざしていたおじいさんにも問題がないわけではありません)

 けれど、彼の辛い過去は無駄ではありませんでした。

 彼は戦場で足を負傷した上官の世話をし看取ったのですが、そのときの経験が車椅子のクララがホームステイしにきたときに生きたのです。足の不自由なクララの世話をだれよりも上手くできたのはおじいさんでした。

 ハイジが山で生活したことも、フランクフルトのお屋敷の辛い生活に耐えたことも、のちのちハイジの人生に大きく生きました。今はつらいと思っていても、その経験には無駄が無い、必ず生きる、そんなメッセージが物語の中に流れています。

 現実につらい状態が続いていると、なかなかそうは思えませんよね。今は、とくに、ふつうの状態ではないのです。社会全体が重苦しく、窮屈で辛い状態です。けれども、こんな経験も、かならず後に生きると思うのです。

 こういうときに、ふと手に取った本がこれなのも、なんとなく運命的な気持ちです。
大人も子どももお年よりも、親子三代で楽しめる児童文学です。
なつかしいだけでなく、たくさんの発見があります。どうぞ、もう一度、読んでみてください。

繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)

 ネガティブな要素はありません。安心してお読みいただけます。アルプスの美しい自然描写が、とても映像的です。アニメーションでも有名なチーズを焼くシーンは、小説でもとてもおいしそうです。
温かいミルクと、チーズ、素朴なパンなどをお供に、ぜひどうぞ。

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