【魔女だったかもしれないわたし】どんな自分でもいい!自分も他人も受け入れる、「生き辛さ」を越えるヒューマンストーリー。【小学校高学年以上】
スコットランドの小さな村で両親と二人の姉と暮らす自閉スペクトラムの少女アディ。自分の暮らす村では昔、魔女狩りの歴史があったと知ったアディは「その時代に生まれていれば自分もそうなっていたかもしれない」と思い、村に慰霊碑を建てることを提案するが……(魔女だったかもしれないわたし エル・マクニコル/著 櫛田 理絵/翻訳 PHP研究所)
この本のイメージ 自己肯定☆☆☆☆☆ 多様性☆☆☆☆☆ 相互理解☆☆☆☆☆
魔女だったかもしれないわたし エル・マクニコル/著 櫛田 理絵/翻訳 PHP研究所
<エル・マクニコル>
スコットランド生まれの児童文学作家。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで創作を学んだのち、書店員、バーテンダー、ブロガーなどさまざまな職業を経て作家に。自閉スペクトラムなど、ニューロダイバーシティ(脳の多様性)をテーマにした作品を次々に発表。その最初の作品である本書で、ウォーターストーンズ児童文学賞、ブルーピーター・ブック賞をはじめとする数々の賞を受賞。十か国語以上に翻訳されるなど世界中で高い評価を受ける。自身も自閉スペクトラムと診断されたニューロダイバージェント。ロンドン在住。
<櫛田 理絵>
滋賀県生まれ。早稲田大学法学部卒業。鉄道会社勤務を経て翻訳を学ぶ。訳書に「ぼくとベルさん」(第64回青少年読書感想文全国コンクール課題図書)、「ぼくと石の兵士」(以上、PHP研究所)、「紛争・迫害の犠牲になる難民の子どもたち」(合同出版)などがある。日本国際児童図書評議会(JBBY)会員。東京都在住。
原題は A kind of spark.イギリスでの初版は2020年。日本語版の初版は2022年です。
スコットランドの小さな村で、両親と双子の姉とともに暮らすアデライン。
アディは自閉スペクトラムで、ちかちかした光やまぶしい光が苦手だったり、騒音に敏感だったり、何かひとつのことに過集中状態になったりと普通の人とは少しだけ違ったところはありますが、自分と似たようなところのある姉キーディに支えられながら普通の学校に通い、生活をしています。
あるとき、自分の暮らす村ジュニパーで、かつて魔女狩りが行われていたと知り、ショックを受けます。
迫害を受けていた女性たちは本物の魔女ではなく、どこかが普通の人たちとは違うだけだったのだと聞くと「当時に生まれていたら自分も魔女にされていたかもしれない」と思ったアディは、村に彼女たちの慰霊碑を作りたいと思い、行動を開始するのでした……
……と、いうのがあらすじ。
作者であるエル・マクニコルさんも自身が自閉スペクトラムであり、ご自身の体験も反映されているようです。
日本では「発達障害」と言う言葉が使われがちですが、この本の中でもそれは脳の個性であり自閉「症」と呼ばれるような「病気」ではないと書かれています。
わたしも発達障害の「障害」と言う言葉が、現実とそぐわないのではないかと常々感じていました。
「病気」だと思うと「治るのではないか」と思ってしまう人もいます。しかし、「治る」とか「治らない」とかそういう問題ではないのです。自閉スペクトラムは訓練してふつうの生活ができるようにすることはできますが、それは左利きを右利きに矯正して右手でも食器やペンが使えるようにするのと同じで本来の姿とは違うものです。
もっと言えば「良い、悪い」でも無いと思います。それは「そういう形」でそれが「完成形」なのです。
アディは同じような自閉の姉キーディとともに、なんとか普通の学校生活になじめるよう努力して生活してきました。それでも、不都合はあります。そして、周囲の無理解もあります。
そんなとき、どう乗り越えてゆくのか……
わたし自身、ADHD気味なところがありますし、周囲のエンジニアやプログラマーにはアスペルガー傾向のある人たちもいます。自閉スペクトラムは音や光、色などに敏感で過剰に集中状態になることがあるため、アーティストやミュージシャン、エンジニア、プログラマーや研究者に多いのです。
この物語では自閉スペクトラム、発達障害と呼ばれる人たちから見た世界がどう見えるのか、愛情をこめて丁寧に描かれています。アディのような子が読めば「そうそう、そうなのよ」と思うでしょうし、アディのような要素がまったくない人が読めばアディの目から見えている世界が少しだけわかるかもしれません。
わたしが好きなシーンはアディが大好きなサメのことを熱く語るところ。
アデラインはサメが大好きで、サメのことなら何でも知っています。でも、世間的に「少し風変わりで」「周囲から浮いていて」「魔女の慰霊碑を建てたい等と行動を起こそうとする女の子」なら「イルカが好きそう」だと思われがち。アディはそこで「イルカじゃない! 好きなのはサメなんだ!」と憤慨してしまいます。
わかる。ここいらへんの表現が絶妙にうまい。
確かに、こういうタイプの女の子に対する世間のイメージは「イルカが好きそう」。
事実、アディと仲良くしてくれる都会から来たオードリーも「イルカが好き」と言います。
でも、アディはみんなが「あなたはきっとイルカが好きなんでしょう」と言う目で見たり「イルカのほうが好き」って言うのがもどかしいのです。わかりますよ、アディ。その「世間のイメージ」に対する息苦しさ。
ちょっと風変わりで、敏感で、自然が大好きで、ひとりで遊ぶのが大好きな人に対する「ナチュラルなことが好きな個性的な人はこう」って言う固定観念がすでに息苦しい。
それは「普通の人とちがう」人を理解しようとしているのではなく「別のカテゴリー」を作って、その枠の中に入れようとしているだけ。ひとりひとりはみんな違うのに。
わたし自身、ごくたまにですが「そんなんじゃ変われないよ」とか「変わりたいと思うなら、自分の殻を破らなきゃ」と助言されることがあります。若い頃はよくありました。
けれど、そんなときわたしはいつも「なぜ変わらないといけないの?」と素朴な疑問を感じていました。
この「魔女だったかもしれないわたし」で、エル・マクニコル先生はまさにそこを描いてくれています。
アディは「変わる必要はない」のです。
綺麗な字が書けなくてもいいし、イルカじゃなくてサメが好きでもいいし、まぶしい光や大きな音が苦手でもいいのです。
ありのままの自分を受け入れて、そんな自分の個性を大切にしてのびのびと生きていい。
そうしていれば、いつしか変化しているのです。
実際、アディは慰霊碑をつくるために行動を起こしています。その時点で以前のアディとは大きく違うのですが、アディをちゃんと見ていない人たちは「またおかしなことをしている」と、アディの成長や変化に気づきません。
彼らの望む「変わる」はそういうことではないからでしょう。
しかし、自分の内側から湧き上がる情熱を止めないことにしたアディのもとには少しずつ理解者が集まってきます。やがて大きなトラブルも乗り越え、家族は結束してゆきます。
「人とちがうからって、そのちがいを杖のようにふるい、わたしを負かそうったって、そうはいかない。」(引用p224)
アディは成長し、自分を肯定し、そして愛してくれる大切な家族たちの手をとります。
美しいシーンです。
文章は平易で読みやすく、すべての漢字に振り仮名がふってあるわけではありませんが漢字は少なめで難しめの字には振り仮名が振ってあるので、小学校高学年から。
難しいテーマではありますが真正面から誠実に取り組んで愛情深く書かれており、読後はあたたかい気持ちで満たされます。
自分は他の子たちとはちょっとちがうな、と悩んでいるお子さまに。
細かいことが気になったり、自分だけの大切な何かがあったり、音や光、色に敏感だったりするお子さまに。
そして、そんな子たちを理解したいと思うすべての人に。
世界が少し広く感じれるようになる、やさしい物語です。
繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)
激しい気持ちのぶつかり合いもあり、非常にリアルなお話です。HSPやHSCのほうがより多くのメッセージを受け取れるでしょう。
安心してください。ラストはあたたかなハッピーエンドです。
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