【もうすぐ映画化】ゴリラファン必読!仲間たちを救ったゴリラ画家のストーリー【小学校中学年以上】

2024年2月13日

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世界一幸せなゴリラ、イバン  キャサリン・アップルゲイト/作 岡田良恵/訳 くまあやこ/絵  講談社

ゴリラのイバンは、ショッピングモールに併設された小さなサーカスで、絵を描くゴリラでした。イバンはそこそこ幸せでした。子象のルビーがやってくるまでは…

この本のイメージ ほのぼの☆☆☆☆☆ 考えさせられる☆☆☆☆ 家とは☆☆☆☆☆

世界一幸せなゴリラ、イバン  キャサリン・アップルゲイト/作 岡田良恵/訳 くまあやこ/絵  講談社

 ゴリラ人気が急上昇中の昨今ですが、そんなゴリラファンのために、素敵な児童文学をご紹介。今夏にディズニーで映画公開が予定されていたらしいのですが、公開方法はどうなるのでしょう?
制作は進んでいるのでしょうか。ロケは難しいですけど、CGとかは、リモートワークでいけそうです。

 これは、実在したゴリラのエピソードをモデルに、作者のキャサリン・アップルゲイトさんが創作したストーリーです。

 ふるさとから遠く離れた場所で生きる動物にとって、サーカスってどんなところでしょう。幸せな場所ならいいですが、そうじゃないところもたくさんあるんでしょうね。


 モデルになったゴリラのイバンは、小さなショッピングモールに併設されたサーカスで「絵を描く」芸を見せるゴリラでした。モールがだんだん寂れていき、サーカスを閉鎖した後は動物園に移動して、他のゴリラたちと幸せに暮らしたそうです。

 物語の主人公のイバンも、小さなサーカスで絵を描いて暮らしています。仲間は老象のステラ、野良犬のボブ、サーカスで働くジョージの娘ジュリア。イバンはそこそこ幸せに暮らしていましたが、ある日、子どもの象、ルビーが買われてきたあたりから疑問を持ち始めます。老象ステラはルビーをわが子のようにかわいがりますが、彼女の身体は弱っていました。ステラが病気になり、獣医を呼んでもらえずに死んでしまうと、イバンはこのままではいけないと思うようになります。

 新しく買われてきた子象のルビーに、芸を仕込むために経営者のマックがおそろしい「さすまた」を持ち出すようになり、モールの経営悪化と共に、サーカスの環境も悪くなっていきました。
イバンは、ステラが死ぬさい、彼女と約束していました。「ルビーを助け出す」と。

 イバンは、自分たちには「おうち」が必要だと思うようになります。ここは「おうち」ではない、「おり」なんだ、と。

 様々なレビューで引用される、印象的な言葉があります。
「いい動物園かどうかはね、人間が動物たちに、どんなふうに、つかまえてきたうめ合わせをしているかで決まるのよ」(p61)

 動物園っていう施設じたいが罪深いものだけど、それをどの程度愛情や思いやりで埋め合わせてくれてるのか、それでそこがいい場所かどうかが決まるんだ、と言うのです。
そこに、ルビーが捕まる前のエピソードが加わります。落とし穴に落ちて死にそうだったルビーを、村中の人間たちで助け出してもらえたこと、けれど、その反対に、自分を捕まえ両親を殺した人間たちのこと……。
人間がいいものなのか、悪いものなのか、さっぱりわからない……。でも、いい人間と悪い人間がいるなら、動物の住むところだって、悪い場所ばかりではなく、いい場所があるはずだ、とステラは考えたのです。

 自分は病で死んでしまうけれど、幼いルビーはそんな場所に連れて行ってあげてほしいと。

 ステラと約束したイバンは、一計を案じます。そして……

 ゴリラの一人称という形でお話が始まるので、読み始めはすこしもたつきます。でも、そこを乗り越えて読んでいくと、最終的には目頭が熱くなるラストでした。

 これは、実話ではありますが、この小さなサーカスは、「教室」や「職場」、「家庭」や「地域」など、人間の生活環境の比喩として読むことも出来ます。そこで生きるしか方法が無くて、仕方なく受け入れているけれど、望む場所はここではない。そういう人は、人間の世界にもたくさんいると思います。

 ゴリラのイバンは、絵が描けるゴリラとして有名で、そして人気者でした。好物の食べ物も与えられていたし、そこそこ幸せだったのです。けれども、老象のステラが医者も呼んでもらえず、だんだんと弱っていき、この世を去るのを看取り、子象のルビーが虐待されるのを見たときに、「ここは『おうち』ではない」と言う想いが湧き上がってきます。

 様々な児童小説で繰り返し語られるテーマですが、「愛」=「無条件の肯定」なのです。
イバンがサーカスで愛されるのは、芸をする珍しいゴリラだからです。つまり「役に立ち、儲かるから」かわいがられるわけです。だから、病気で役に立たないステラは医者を呼んでもらえないし、芸をしない子象は罰としてぶたれるわけです。

 つまりステラがイバンに頼んだことは、幼いルビーが「人間の役に立たなくても、象らしくのびのびと生きていける場所」に連れていって上げてほしいと言うことなのです。

 役に立たなくても、お金を稼げなくても、特別じゃなくても、
病気でも、怪我をしていても、幼くて未熟でも、老いて弱っていても、「ここにいていいよ」と許され、そして大切にされる…
そこが「おうち」ではないでしょうか。

 人気者のゴリラ、イバンが、自分の居場所を「おり」だと感じ、自分たちには「おうち」が必要なのだ、とだんだん気づいていく過程は、現代社会に生きる人間にも通じるものがあると思います。

「家」とは、「ふるさと」とは、「役に立たない者を認める場所」なのです。

 それは、自分には理解できないものや利益にならないものを認める場所でもあります。人がたくさんいればいるほど難しくなりますし、けれど、そういう状態に近づけたとき、そこは「幸せな場所」になりえるのではないでしょうか。もちろん、誰にとっても簡単なことではないのですが……

 イバンやルビーが「おうち」を得るために、人間のジュリアや犬のボブなど種族を超えて仲間たちが交流するところが素敵です。現実にはありえないことですが、これを人間に置き換えると、様々なことを感じ取れます。

 今は、外出が出来ない時期ですが、内省的なお子様におすすめの本です。紙の本は入手困難ですが、ぜひお手にとってみてください。

 日曜日の午後に、おいしい紅茶をお供にじっくり読んでいただきたい本です。(紅茶はがんがんに沸騰したお湯で淹れるとおいしいですよ)

繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)

 病気で老象が死んでいくシーンがあります。つらい方は、今は避けたほうがよいでしょう。「そういうシーンがあるのだな」と前もってわかっていれば読める方にはおすすめです。ゴリラの一人称と言う特殊な文体に慣れるまでがちょっと時間がかかりますが、そこを越えるとラストまでは一気に読めます。

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