【秘密の花園】心の魔法が奇跡を起こす。「死」と向き合い、再び立ち上がるための児童文学の名作。【小学校中学年以上】

2024年1月18日

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秘密の花園  フランシス・ホジソン・バーネット/著  羽田 詩津子/訳 角川文庫

インドで両親を失ったメアリは、イギリスの叔父に引き取られます。そこには、閉鎖され荒れた庭園と、ある秘密がありました。死と再生を描く、児童文学の名作です。

この本のイメージ セラピー☆☆☆☆ やさしい☆☆☆☆ 自己の確立☆☆☆☆☆

秘密の花園  フランシス・ホジソン・バーネット/著  羽田 詩津子/訳 角川文庫

<フランシス・ホジソン・バーネット> 1849〜1924年。イギリス生まれ。物語が雑誌に掲載されたのをきっかけに作家活動をはじめる。作品に「小公女」「小公子」など。

「小公子」「小公女」などで有名なバーネットの、これまた有名な名作です。

 しかし、冒頭は児童文学の中で屈指の壮絶なシーンです。インドの大きなお屋敷で、大勢の召使にかしずかれて育ったメアリですが、一夜のうちに大流行したコレラによって、自分以外の屋敷の人間は全員死んでしまうのです。

 屋敷の奥で自分が寝ているうちに。

 そして、ひどく痩せた、心を閉ざした少女は、そのままイギリスの叔父の屋敷に引き取られます。

 バーネットのほかの作品と違って、この作品には、常に「死」の影がまとわりついています。心を閉ざしたキャラクターが何人か出てきますが、それぞれが、それぞれの心に「死」を抱えて、乗り越えられずにいます。

 子供の頃読んだときは、甘やかされて育ったわがままな女の子が、心を入れ替えて、やはり甘やかされて育ったわがままな男の子を元気付けて優しくする話。と思っていました。

 でも、大人になって読み返すと、様々なことに気づくようになりました。

メアリもコリンも、お金はたくさんあって、物理的には不自由のない家に生まれ育っているのですが、両親との交流がゼロなんですよね。乏しい、のではなく、ぜんぜんまったく、ゼロ。
これは、作者がわざとそう描いていると思うのです。

 すこしでも交流があるのなら、「親は仕事で忙しく、かまってもらえないので寂しい」と言う気持ちも沸いて来ようものですが、生まれてこのかた親との交流はゼロ、となると「親とは何か」「親子とは何か」と言う概念すら知らない。だから、「寂しい」と言う感情すらない。

 冒頭で少しだけメアリの美しい母親が出てきますが、メアリは彼女を見て「美しい人だな」と、遠くから他人を見るように思うだけなんです。思慕すらないんです。

 これは、わがままなのではなく、心が死んでいるんだ、と思いました。物理的には何不自由ないのに、「情緒」と言うものを育ててもらえなかった。そんな子がどうやって、自力でゼロから心を育てていくのか、という話なのです。

 メアリの心の扉を少しずつ開いたのはマーサという召使で、正確に言うと彼女の母スーザンがとても聡明な人で、彼女の遠隔からのアドバイスが様々な人を救います。

 ミルスウェイト屋敷でメアリが徐々に心の健康を取り戻していくと、メアリはそこで自分より悲惨な人生を送っているコリンと言う少年に出会います。

 このコリンは、両親からの愛情や肯定がゼロなだけでなく、親からの存在の否定と、周囲の大人たちからのネガティブな暗示をひたすら浴びて育った子どもでした。彼は、見てくれは暴君のように見えるわがまま少年ですが、頭の先から足の先まで大人が教え込んだ絶望感しか入ってないような子です。

 どうしてそんなことになったかというと、彼の養育に関して責任を持つ立場の人が、現場に一人もいなかったのです。それは、メアリも同じで、形式上うやうやしく彼らの身の回りの世話をする人間はいるけれども、彼らの発育や成長そのものに関して愛情を注いで責任を背負う大人がいないので、それぞれの大人が「食事の世話」「着替え」「入浴」など、自分の目の前の仕事しか考えずに接していたからでした。
 お金がうなるほどあって親がいないとはこういうことか、と言うリアリティを突きつけられます。あきらかなネグレクトなのですが、お金がうんとあるので同情もされず精神的に捨てられている状態だったわけです。

 それに気がついたのは、遠方にいるスーザンとその息子の天使のようなこどもディコンで、彼らが鍵になって、メアリが動き、だんだんと人々が成長していきます。

 情緒が死んでいる子どもが、情緒を育てていくのはやはり困難なので、ここで「土いじり」と言う自然の癒しの力を借りることになります。最初の扉を開くのは、庭園と動物でした。

そして、その「庭園」もメアリやコリン同様「捨てられた」庭園だったのです。

 メアリは、彼女が見つけた「秘密の花園」を自分の力で再生させることで、彼女の心も再生させていきます。それと同時に、彼女よりもっと深刻な状況だったコリンの心も癒すのです。

 あれです。児童文学の古典ではかならずといっていいほど出てくる、「自分を助けるためには、自分以外のもっと苦しい立場の人を助ける」のパターンです。

 大人の心は一番癒されにくいので、妻を失って庭園とともに心を閉ざしていたクレイヴンさんの心が最後に癒されます。

 後半では、コリンが「魔法」と呼ぶ、自己暗示の力を使って、いままで自分に注ぎ込まれたありとあらゆるマイナスの暗示を追い出そうとします。これは今でもアスリートとかがやる、伝統的な方法です。

 外から刷り込まれたマイナスの暗示→土いじりと言う原始的な行為で癒す→外の空気を吸ったりたくさん食べたりする→ポジティブな言葉の暗示を自分にかける と言うまさにセラピーの段階をふんでいるのですよ。

 なんかもう、下手な自己啓発本じゃなくてこれでいいんじゃないか……と言うくらい、完成されています。

 家族が全滅してしまったなかで、メアリがただ一人生き残ったのは、彼女が実は生命力があって強い子なのだ、と言う表現なのでしょうし、生まれてから10年間存在そのものを否定されたコリンも、いけすかない子どもとして癇癪を爆発させながらも行き続けたのだから、本来は生きる力がある強い子なんだ、と言うことなんだと思います。

 だから、一見、無愛想でへそ曲がりの、可愛げのないサバイバー少女が、深刻な状態にあったコリンを救えたのでしょう。

 わたしが好きなシーンは、メアリがディコンのことを「きれいな子だ」と言うところ。ディコンの姉のマーサは、彼はそんなに器量はよくないというのですが(実際に、描写としてはファニーフェイスのように書かれています)メアリは再度「彼はきれい」と言います。それは、ディコンの心や人格がにじみ出ている何かを、彼女が感じ取っているからで、そこでメアリには本当は繊細で深い情緒があるのだと表現している場所だと思います。

 わたしが初めて読んだ頃に比べて、今は天変地異も多いですし、「死」も身近な時代になりました。今のほうが求められる小説かもしれません。
天使のような美しい少女でなくても、誰かは救えるのです。そして、絶望しか与えられなかった子どもでも、希望を持って生きていけるようになれるのだ、と言う力強い物語です。

繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)

  非常に「死」が身近な物語です。辛い方もいらっしゃるかもしれません。けれども、救いも多い物語です。
「読んでもいいかな」と言う気持ちになったら、読んでみてください。
いろんな形の愛がたくさん詰まっているハッピーエンドです。

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