【ぞうのエルマー】愛されるロングセラー絵本。パッチワーク色のぞうの物語。【2歳 3歳 4歳 5歳】
エルマーは、ほかのふつうのぞうたちとは、ちがい、パッチワーク色のぞうでした。エルマーは、ふざけることがだいすきで、ほかのぞうたちもエルマーがいるとついつい、ふざけてしまいます。エルマーがわらえば、みんなもわらってしまうのです……
この本のイメージ ふつうとは☆☆☆☆☆ 多様性☆☆☆☆☆ みんなちがってみんないい☆☆☆☆☆
ぞうのエルマー デビッド・マッキー/作 きたむらさとし/訳 BL出版
<デビッド・マッキー>
1935年イギリス南デボン州生まれ。美術学校在学中から風刺漫画の仕事を始め、卒業後には雑誌「パンチ」や新聞などに絵を描く。1964年に初めての絵本「TWO CAN TOUCAN」を出版。また絵本のほかに、アニメーションの制作などにも取り組んでいる。
<きたむらさとし>
1956年東京生まれ。1979年にイギリスに渡り、数年後より絵本を作り始めた。ハーウィン・オラム氏とのコンビでつくった「ぼくはおこった」(評論社)でマザーグース賞、絵本にっぽん賞特別賞を受賞。
長く愛されるロングセラー絵本「ぞうのエルマー」です。
原題はElmer. 1968年に英国で出版され1976年に安西 徹雄訳でアリス館牧新社から出版されました(現在絶版)。
その後、デビッド・マッキー氏が絵をすべて描きなおすなど大幅に改訂して1989年に再出版されました。現在のものは、きたむらさとしさんが1989年版を2002年に翻訳したものです。
ストーリーは……
エルマーは、カラフルなパッチワーク柄の象でした。エルマーは、ふざけることが大好き。
ほかの象たちもエルマーがいるとついつい、ふざけてしまいます。エルマーが笑えば、みんなが笑ってしまいます。
ある日、エルマーは不安になります。みんなが笑うのは、自分がみんなとちがっているからじゃないかしら、みんなとおんなじになったほうがいいんじゃないかしらと。
エルマーは、「象の色」の木の実を見つけ、その汁を身体に塗って、ほかの「ふつうの象」たちとおんなじ色になってみました。
すると……
……と、いうのがあらすじ。
最近は「個人の時代」「個性」「多様性」と言う言葉をよく聞くようになりました。よく聞く、と言うのはおそらく一種のブームなのでしょう。けれど、ブームだと、いつかは終わってしまいそう。そうしたら、また昔のようになってしまうのでしょうか。そうはなってほしくありません。
わたしたちが子どもの頃は、日本が豊かになろうとしていた時代だったので、なんでも「みんなと同じ」がいいとされていました。みんなと同じ制服を着て、みんなと同じ給食を食べて、みんなとおなじ髪型で学校へ通いました。
それには、いいところもあって、貧しい家の子も裕福な家の子も同じ服で学校に通うことができて服で悩むことはありませんでしたし、貧しい子も裕福な子も同じ給食を食べることができました。学校で同じ教育を受けることができるのもいいところです。
けれども、日本が豊かになっていくにつれ、「他人と似ていない」「他人と同じようにできない」と言う子どもの居場所が逆にだんだんなくなってゆきました。
その後訪れたのは「ふつう」ってなんなのかを一生懸命さがし、なんとかして「ふつう」の範囲に自分をあてはめ、そのなかでのほんの少しの差やはみ出しを「個性」としてどうにか認めてもらう時代です。この時代は、長く続きました。
令和の今、テクノロジーの発達によって、少しずつですが、そんな「ふつうでない」「はみ出した人」に可能性が生まれるようになってきました。昔には存在しなかった新しい職業も生まれてきました。
パッチワークの象が本領を発揮できるような時代が来たのです。
それでも、自分のことを「ふつうではない」と感じている人には、まだまだ生きづらいかもしれません。
そんな人たちへの、よく聞く励ましとして、「そう感じている人はあなただけではない、あなたはひとりじゃないよ」と言うものがあります。
それは素敵な励ましですが、わたしには、その励ましは一段階早いような気がするのです。つまり、階段の最初の一段ではなく、かなり上のほうの段の言葉に感じるのです。
「自分はふつうではないのではないか」と悩む人に対する、階段の一段目の言葉は、
「だからどうした、それでいいんだ」 だと思います。
エルマーは、カラフルなパッチワーク柄の象です。
どこにいても、エルマーがそこにいると一目でわかります。カラフルでふざけ屋のエルマーは、みんなの人気者でした。けれど、エルマー自身は、自分の周囲の象たちがいつも笑っているのは、自分がへんてこでみんなと違うからなのではないかと悩んでいました。
エルマーは自分をみんなとおんなじ色に染めてみます。その結果、自分はへんてこなパッチワーク柄だからだけではなく、ゆかいで明るい性格で愛されているのだと知ったのでした。
「ぼくはエルマーみたいに陽気じゃない」と悩む人、心配しないで。
これは「人と違っている人も、暗く悩んでいないで明るくしなさい」と言う物語ではありません。あなたのそのまま、ありのままでいいじゃないか、それでいいんだ、と伝えたいのです。
だって、いつも明るくおどけていたエルマーだって、一度は悩んだのです。そんな悩みも無理もないことなのです。
あまりにも多くの情報が飛び交い、他人の日常が簡単にわかる時代になり、自分がどこまで「ふつう」なのか、これでいいのか、どうすれば「ふつう」なのかと悩んでしまう人がかえって増えてしまったのかもしれません。
でも、逆にテクノロジーの力で、いままでできなかったことがどんどんできるようにもなってきました。
地方にいても貴重な資料を見たり取り寄せたりできますし、楽器が弾けなくても作曲ができたり、身体が不自由でも情報を発信できたりと、わたしの子どもの頃では考えられないことです。
どこかで可能性の扉が開くかもしれない。今は絶望的に見えることでも、明日、何かしらの大発明が世界を一変させてしまうかも。迷いながらでも歩きつづけていたら、どこかに辿り着くかもしれないのです。
わたしは変わり者が好きなので、わたしの周囲はいつも変わり者だらけです。
わたしは人間の短所や欠点は「悪いところ」だと思わないので、倫理的に問題がないのなら無理して「他人と同じ」にする必要はないと思っています。たいていの場合、短所や欠点は、長所や優れたところの裏返しであることが多いから。
デリカシーがなくて鈍感な人は勝負強いところがあります。協調性がない人は独創的でユニーク、臆病な人は繊細で感受性が鋭い、周囲に目を配れない人は集中力が高い場合が多いです。
心配性な人は前準備や検品を担当すると仕事が丁寧、落ち着きのない人は行動力があります。
陽気でチャランポランに見える人が営業が上手かったり、堅物で融通が効かない人は綺麗な書類を作れたりと、悪いところはたいてい、良いところとセットなのです。
小さな子どもの頃は、天真爛漫で明るくないと「子どもらしくない」と言われがち。
でも、内向的で、深くものを考える子にも良さがあります。
このブログでは、そんなお子さまの何かしらの助けになればと、「ケイティのふしぎ美術館」のような美術関係の絵本や、「ルビィのぼうけん こんにちはプログラミング!」のような絵本をおすすめしています。
たくさんのお友だちと元気に運動場を駆け回ることができない子にも、何かしら向いていることがあるかもしません。
何パーセントかの割合で、大勢でわいわいと遊ぶよりも、絵を描いたり、音楽を奏でたり、本を読んだり、ひとりで計算をしたり、パズルを解いたりするのが楽しいという子がいます。
大勢の子と一緒に「おなじように」行動することは苦手かもしれません。
けれども、その子にも「何か」があるかもしれない。その子の可能性の扉を開ける何かが。
「自分はふつうの子ではないかもしれない」と悩む人、苦しみすぎないで。その悩みは何かを生み出すパワーになるかもしれない。だから無駄ではないかもしれない。
「そんな未来のことはいいんだ。つらいのは今なんだ」と言う気持ちも、わかります。わかると言ってしまうと安易過ぎるかもしれないけれど。
それでも、絶望だけはしないでほしい。泳ぎ続けていれば、きっと岸辺はあるから。
繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)
ネガティブな要素はありません。「多様性」のすばらしさと「自己肯定感」を伝える絵本です。「ふつうとはちがう」ことで悩むお子さまに。そして、補足するとすれば、この話は「ふつうとは違ったとしても、エルマーのように明るく元気ならば愛される」という意味ではないことを伝えたい。
「エルマーの日」に、色とりどりの色に自分を染めて楽しむ象たちの幸せそうな姿を見ると、心が和みます。
大人が読んでも、癒される絵本です。大切な人へのプレゼントにもおすすめです。
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