【王子と乞食】マーク・トウェインの児童文学の名作を村岡花子の翻訳で。王子と下町の少年の数奇な運命【中学生以上】

2021年3月18日

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王子と乞食 マーク・トウェーン/作 村岡花子/訳 岩波文庫

うりふたつの顔立ちをした、乞食のトムと、王子エドワード。ふたりは、ひょんなことから出会い、服を交換してみようと思い立ちます。それによって、このふたりの数奇な運命が動き出したのでした……

この本のイメージ 波乱万丈☆☆☆☆☆ 王子の苦難☆☆☆☆☆ 真実とは☆☆☆☆☆

王子と乞食 マーク・トウェーン/作 村岡花子/訳 岩波文庫

<マーク・トウェイン>
マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835年11月30日~1910年4月21日)、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)は、アメリカ合衆国の著作家、小説家。ミズーリ州出身。「トム・ソーヤーの冒険」の著者として知られ、数多くの小説やエッセーを発表、世界中で講演活動を行うなど、当時最も人気のある著名人であった。(Wikipediaより)

王子と乞食 マーク・トウェーン/作 村岡花子/訳 岩波文庫

 

 児童文学の古典名作「王子と乞食」です。原題はThe Prince and The Pauper.初版は、1881年。日本語版の初版は、村岡花子版が1927年です。
 多くの出版社から様々なバージョンが出版されていますが、村岡花子翻訳版をチョイス。

 16世紀のイングランドを舞台に、実在の若き国王エドワード6世を主人公とした冒険譚です。

 これは、岩波文庫なので振り仮名などはなく、中学生以上が対象だとは思いますが、もとは子供向けに書かれた小説なので、かしこい子なら小学校高学年くらいから挑戦してみるのもいいと思います。

 小学生向けの抄訳版や、子供向けに翻訳されたものなど、他のバージョンとの読み比べも面白いでしょう。

 あまりにも有名なお話ですが、ストーリーをかいつまんでご紹介しますと、


 イギリスの貧民街で生まれ育ったトム・キャンティは、飲んだくれの父親に虐待されながら物乞いをして暮らしていました。トムは、王子にあこがれ、王子の生活はどんなものなのだろうと想像し、ついにウェストミンスター宮殿まで来てしまいます。

こちらは子供向け抄訳版。
大きくなったら
完訳版をお読みになることを
おすすめします。
すごく、面白いので!

 門番につまみ出されそうになったとき、本物の王子が助けてくれ、城の中に招き入れられます。
ふたりは仲良くなりますが、そのとき、ふとした思い付きでふたりの服を交換してみようと言うことになりました。

 ところがその後、乞食の姿をした王子は、城の外につまみ出され、王子の姿をしたトムは王子として城で暮らさなければならなくなってしまいます。

 そのうえ、病に臥せっていた父王ヘンリー8世は、息子が別人と入れ替わっていると気づかないまま、崩御してしまうのでした。

 さて、ふたりの運命は?
 乞食の姿のまま放り出されたエドワードは、城に戻れるのでしょうか。

 と、言うのがあらすじ。

 子どもの頃、抄訳版を読んだだけで、きちんと完訳を読んだことがなかったので、今回読み直しのつもりで読んだら、たいへんなボリュームでした。
 岩波文庫版は、見た目が薄いのでだまされますが、大長編です。

 でも、面白い

 人は、いったい何を基準にして人を判断しているのか。
 服装なのか、中身なのか、それとも思い込みなのか。

 それを繰り返し繰り返し、問いかけてきます。

 宮殿に残されたトムは、最初は自分なんかが王子になりすましているとばれたら、捕まって殺されてしまうとおびえますが、誰も気がつきません。実の親ですら気がつかず、宮廷中の人間から「お疲れなのだ」「気が動転しているのだ」と言う扱いで、かえって大切にされてしまいます。

 外に出たエドワードも同じで、自分が王子だと誰にも信用してもらえません。トムの実の親きょうだいも、同じです。トムがふだんから王子にあこがれていたのは知られていたので、「ついにおかしくなった」と思われます。

 冒頭からしばらくはトム・キャンティの視点でお話が進みますが、ふたりが入れ替わった後は、大部分はエドワードの苦難と冒険の物語です。

 トムの父親のジョンが、絵に描いたような毒親で、エドワードを利用しつつ虐待するのです。トムの生い立ちを表現するための記号的キャラクターと思いきや、繰り返し登場して、エドワードを苦しめます。本作品ナンバーワンの悪党。(後に登場するマイルズの弟もなかなかなのですが、幼い実の息子を利用して虐待するだけでなく、追い掛け回して逃がさないところでジョンが優勝)

 ハックルベリー・フィンの父親もそんな男で、ハックは父親から逃れるために筏で逃走するのですが、マーク・トウェインの話には、こういう毒親が登場します。当時は珍しくなかったのかもしれませんね。

 孤独なまま放浪を続けるエドワードでしたが、マイルズ・ヘンドンと言う没落貴族と出会い、助けてもらえるようになります。このマイルズがいいやつで、エドワードの「自分は王子だ」と言う主張は信じないものの、彼の王子ごっこ(とマイルズは思っている)には、本気で家臣として付き合うのです。

 エドワードは、忠義なマイルズに感謝して、騎士の位を授けます。(マイルズは、叙勲ごっこだと思っている)

 マイルズ自身は「ちょっと頭のおかしい男の子の面倒をみて、王子ごっこに付き合っている」だけだと思っているのに、実は王子は本物で、知らないうちにマイルズの地位がどんどん上がってゆくと言う展開も、皮肉で面白いのです。

 登場人物のそれぞれが、名もない人にいたるまで、
 「自分の見たいようにものを見る」「うわべでしか判断しない」人と、
 「本当のことを話しているのに信用してもらえない」人の二種類に別れ、さまざまな理不尽と苦難を描いています。

 人間の価値とは何か。
 地位とは何か。
 何をもって、人は人を信用し、何をもって疑うのか。

 すべての章で、あらるゆる展開がそれを問いかけます。

 子どもの頃に読めばゆかいで楽しいお話ですが、大人になって読むと、様々なことを考えさせられます。マーク・トウェインは43歳のときにこれを書いたので、人生で多くのことを体験したあと、思うところがあって書いたのでしょう。

 本質的には「ハックルベリー・フィンの冒険」にも通じるところがあります。
 「ハックルベリー・フィンの冒険」でも、賢いはずの判事がのんだくれ親父の嘘に騙されたり、田舎のおばあさんがハックの変装を見破ったりと、「人の価値や能力は見かけや地位ではない」と描いています。これは、マーク・トウェインの信念だったのかもしれません。

 テーマが深く、いろんな切り口の解釈が出来るため、読書感想文の題材にも最適。
 またエンターテイメントとしても面白く、村岡花子の名訳もあいまって文学作品としても良質です。
 字の細かさと、振り仮名なしの状態でも大丈夫であれば、この岩波文庫の村岡花子版をおすすめします。

 「タイトルは知っているけど、実は読んだことがない」って方は、まあ、だまされたと思って読んでみてください。
 設定の突飛さからは考えられないような大河長編です。

 かなり読み応えがある小説ですが、巣ごもり期間の読書にぜひ。
 時間をかけてじっくり読む価値のある名作です。

繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)

 暴力シーンはありますが、気をつけて書かれており、それほど気になりません。テーマは深くHSPHSCの方のほうが、多くのことを読み取れると思います。
 見た目からは想像も出来ないほどのボリュームの長編小説です。

 読後は熱々の紅茶と、ビスケットで英国風ティータイムをお楽しみください。

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