【アンの青春】「赤毛のアン」の続編。アンの青春物語です。【赤毛のアンシリーズ】【小学校高学年以上】
アヴォンリーに残り、マリラを支えながら教師になったアンは、16歳になっていました。カスパート家は、双子の男の子と女の子を引き取ることにきめ、新しい生活が始まります……
この本のイメージ 青春☆☆☆☆☆ 理想と現実☆☆☆☆ 日常の幸せ☆☆☆☆
アンの青春 ルーシー・モード・モンゴメリ/作 松本侑子/訳 文春文庫
「赤毛のアン」の続編です。今回は、松本侑子訳で読んでみました。注釈が詳しく、歴史的背景などを説明してくれているので、理解が深まります。装丁もかわいい。
突然のマシューの死によって、大学進学を断念したアンは、地元の教師になって子どもたちを教えることになります。燃えるような理想を抱いて教職についたアンでしたが、くじけそうになることばかり。
それでも、めげずに続けていくうちに、だんだんと子どもたちの信頼を勝ち得ていきます。
一方マリラは、遠縁の双子の子どもを預かってほしいと(暗に)頼まれており、自身の視力の衰えもあって、迷っていました。アンは、居場所の無い子どもたちを放っておけず、マリラをたきつけて、引き取らせることにします。
大人の階段を登り始めたアンが、ふるさとアヴォンリーであらゆることに情熱を傾けて突進する、すがすがしい少女小説の二巻目です。
原題は「Anne of Avonlea」。
「アンの青春」なんてタイトルだから、青春っぽい物語なのかなと思ったら、違いました。
アンは、大人としてアヴォンリーの社会貢献へと踏み出してゆき、逆に、いわゆる青春ぽいイベントが到来するのは、アヴォンリーに暮らす壮年の大人たちです。それもまた、著者の人生観が現れていて面白く、惹きこまれて読みました。
何気ない会話の中に、心にしみる言葉があります。
「アンにはぜひ大学に行ってもらいたいわ。でも、進学できなくても、不満に思ってはいけませんよ。人はどこで生きようと、結局は自分だけの人生を生きるのです。大学は自分らしい生き方を手助けしてくれるだけですよ。人生は広くもなれば狭くもなる。それは、人生から何を得るかではなく、人生に何をそそぎ込むかにかかっているの。人生は豊かで充実したものですよ――ここで生きようと、どこで生きようとも――、人生の豊かさと充実にむかって、どう心を開くか、それを学びさえすればいいのよ」(引用 198p)
アラン牧師夫人の言葉ですが、まさに金言ですよね。
これは、肝に銘じようと思いました。
こんないい言葉を言えるアラン夫人ですが、地元では、牧師の奥様にしては服が派手すぎるとか、どうでもいいことを噂されているシーンも書かれています。物語上その記述はいらないので、あえて書いているところに、著者の意図があると感じました。
アンがマリラに語ったことがあった。「結局、いちばん幸せで楽しい暮らしとは、毎日、華やかなこと、驚くようなこと、胸ときめくようなことが起きるのではなく、さりげない小さな喜びに満ちた一日が、今日、明日としずかに続いていくことなのね、まるで真珠が一つ、また一つと糸からすべり出ていくように」(引用 241p)
このくだりもとても好きです。心からうなずきます。今、世の中がたいへんな時期なので、なおさら思うのですが、小さな幸せって、ものすごく貴重で大切なものですよね。大変なときには、気づかずに通り過ぎてしまいそうですけど大切にしたいものです。
アンが「こうしよう」と思ったことはたいてい、力みすぎて失敗するのですが、その後、ふと力を抜いたときに、案外上手くいってしまうのも、お約束。わりと人生なんてそんなものかもしれません。
「絶対、体罰なんてしないわ」と高い理想を抱いて教職についたのに(当時の教師は体罰をするのがふつう)、悪童のアンソニーにどうしてもどうしても我慢できなくなって鞭を使ってしまい、自己嫌悪と後悔で苦しむシーンには、心から共感しました。(鞭でぶつことではなく、理想通りにいかないことについてです)
しかも、その子どもに限っては、それがいい結果をもたらしてしまい、さらに複雑な気持ちになるところも。
本当に、人生は理想どおりにいかないものです。
けれども、アンがこのような高い理想を抱いていることこそがアンの魅力であり、それは損なってはいけないのだとモンゴメリは主張します。たぶん、これは著者が書きたかった部分だと思うのですが、
このようにアンは、自分でも気づかないうちにギルバートに影響をおよぼしていたのだ。どんな少女でも、気高く純粋な理想をもっていれば、友だちにこうした影響をあたえるものだ。しかし、それは、本人が理想を真剣に追いもとめる限りにおいてであり、理想に背をむけたとたん、力は間違いなく失われてしまうのである。
アンは、時に美人であるように見えたり、美人でないように見えたりする、不思議な女の子として描かれています。
顔の造作で言えば、もっと美しい人たちはいて、本人も不美人だと思っています。髪の色やそばかすなどは、とても気にしていて、何度もなんとかしようと苦心惨憺して失敗しています。
けれども、本人の気づかないところで、言葉にならない不思議な雰囲気があり、その佇まいや、態度、立ち居振る舞いなどは、小さな子供たちがあこがれるほどになっていました。
著者モンゴメリは、女性の美について確固たる信念があったのでしょう。「アンの青春」では前作「赤毛のアン」よりも、アンの「美しさ」についての記述がぐんと増えています。
また、いつまでも少女のような美しいミス・ラヴェンダーや、空想好きなポール、悪ガキのディビィなど、魅力的な新キャラもたくさん登場します。
とくに、周囲の大人に道徳や倫理観を教えてもらえず、手のつけられない悪ガキだったディビィが、アンとマリラの努力により、だんだんと思いやりのある優しい子どもになっていく過程は、ハラハラしながらも、最後は心がほっこりと温まりました。
いやあ、こんなに若いのにアンの母性は無限大です。今なら高校生くらいの年ですが、やはり、女性の母性に年齢は関係ないですね。アンのむすめむすめしたあどけない雰囲気の中に、はてしない母性が同居しているのは、確かに魅力です。
他にも、エピソードがてんこもりの一冊なのですが、前半、なんとなく散発的に起きていた数々の事件が最後に全部うまくまとまっていくのはスッキリします。物語構成としても、マシューが死んでしまうところで終わる「赤毛のアン」よりも、大学への夢が開けたところで終わる「アンの青春」はハッピーエンドで、気持ちが明るくなるラストです。
物語の中で、著者は何度も「運命の曲がり角」と言う言葉を使います。
アンの人生は「こうしよう」と意図して何かをしていく人生ではなく、いつも突然、人生に曲がり角がやってきて、それをひるむことなく歩いていく人生です。
少年向けの児童小説によくある、「人生は自分で切り拓くもの」と言うテーマとは正反対の道を行く話なのですが、けして後ろ向きではなく、毅然として運命を受け入れつつ立ち向かっていくアンの姿に励まされます。
アンシリーズはまだまだ続くので、楽しみに読んでいこうと思います。
繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)
ネガティブな要素はありません。瑞々しい感性に満ちていて美しく、そして励まされる小説です。
作中ではたくさんの花が登場し、庭や玄関先、食卓を飾っています。
小さな野草でもいいので花瓶やコップに飾り、おいしいお茶とともにお楽しみください。お茶は、できればラヴェンダーティーをどうぞ。
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