【アンの愛情】「赤毛のアン」の続編三冊目。アンの愛情のゆくえは……【赤毛のアンシリーズ】【中学生以上】

2024年2月13日

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アンの愛情 ルーシー・モード・モンゴメリ/著

レドモンド大学に進学したアンは、仲良しの三人と「パティの家」で共同生活を始めます。篤い友情、ほのかな恋、将来への不安など、さまざまな想いを抱きながら、勉学に励むアン。そして、ついに生家を探しあて、実の両親について知るのでした……

この本のイメージ 友情☆☆☆☆☆ 恋☆☆☆ 青春☆☆☆☆☆

アンの愛情 ルーシー・モード・モンゴメリ/著 村岡花子/訳 新潮文庫

 「赤毛のアン」シリーズ三冊目です。
様々な出版社から様々なバージョンの翻訳で刊行されています。根強い人気の村岡花子版で読みました。

 アンが大学に進学し、年頃となり、恋愛や結婚の問題に悩みつつ、勉学に励む等身大のすがたが描かれています。

 わたし個人としては、大人になろうとする心と子どもらしい遊び心が共存した「アンの青春」のほうが好きなのですが、「アンの愛情」は、アンとギルバートの行く末を案じていたファンが安心する展開となっています。

 「アンの愛情」は、華やかな展開と幸せなラストで申し分のない少女小説なのですが、ちょっぴり気になるところがあって、全体的にとても儚く物悲しい雰囲気が薄いベールのようにまとわりついています。
 この薄蒼いせつなさは、アンが幸せになっていく後半のほうが強く感じます。このおはなしについてはレビューの後半で。

 さてあらすじは……
 新しい大学生活で、新しい友達を得て勉学に励むアンに、さまざまな男性からぼちぼちと求婚の話が舞い込むようになります。

 これがねえ、なかなかしんどいんです。まず、アンは勉学にいそしみ、友達との時間を大切にしたい。そして、まだまだ恋愛や結婚など考えられない。
 しかし、求婚されれば真面目に考えて、きちんと断らねばならない。
 ところが、お断りしたとたんに、相手の態度が「孤児の分際で、我が家の求婚を断るのか」と豹変するのです。(いきなり家単位の話になる)

 つまり、相手としては、「天涯孤独の孤児なんだから、よもや我が家の求婚を断るまい」と言う「楽勝な相手」として見ていたわけです。(当時大学まで息子を行かせることができるのは、特待生とかではないかぎり裕福な家です)

 「うちの兄を断るなんて後悔するわよ」(ちなみに求婚も妹の伝言)とか言われても、アンとしてはなんとも言い返せないですよね。もちろん、言い返せないのは孤児だからです。こういう、苦痛に満ちた求婚が続く。
 これは、アン、結婚アレルギーになるわ……気の毒だわ……と、大人になった今なら、よくわかります。しかも、夢にまで見た大学生生活を始めたばかり。

 わたしも昔の人間なのでわかるのですが、こういう時代の人たちは、女性が真面目に勉強したくて大学に来たとは、これっぽっちも思っていないものなんですよ。大学生時代にしかるべき結婚相手を見つけるべく、そのためだけに入学してきたと思い込んでいるんです。(女子は会社にもそのために入社してきてるんだと思い込んでいる人たちがほとんどな時代でした)
 だから、このような絶望的なすれ違いが起きるのです。

 アンが自尊心を維持しつつ、自分の本来の夢である勉学にいそしむ姿はけなげです。

 やがて、アンたちは、仲のいい女子どうしで、シェアハウスで暮らすことにします。
 この「パティの家」が、女の子たちの夢を具現化したような家で、若い頃、友達どうしの間でよく夢の家として話題になったものです。

 庭付きの、クラシックな一軒家で、乙女心をくすぐる古風な調度品や壁紙の内装。時々世話をしに通ってくれるおばあさんがいて、猫が三匹いるんですよ!女子大学生のシェアハウスとして完璧じゃないですか。

 少女たちはどんなに喜んで自分たちの巣をととのえたことか!フィルが言うのでは、結婚した時のような楽しさだった。夫などにわずらわされずに、家庭をきずく愉快さを味わえるのだ。(引用)

 と言うわけで、友達どうし、調度品や絵など様々持ち込んで快適な暮らしをすることになりました。ダイアナはクッションをプレゼントしてくれますし、レイチェル・リンド夫人はお手製の刺し子の掛け布団を送ってくれます。(リンド夫人は未亡人になりマリラと一緒にグリン・ゲイブルズで暮らしています)
 女の子たちが楽しげに暮らす「パティの家」の日々は、まさに青春という感じで、この本の中で一番明るく生き生きとしたエピソードです。

 やがてアンは、自分の生家があった場所を訪ね、近所の人から生みの親の話を聞き、幼い自分が愛されていたことを知ります。
 モンゴメリは、深い知識の上にアンシリーズを書いていたように思うのはこういうところです。

 「赤毛のアン」で、アンが大学進学を諦め、守られる側から老いたマリラを支える側になろうと決心した裏には、死ぬ前のマシュウの「お前はじまんの娘じゃないか」と言う言葉がありました。
 何もない状態でグリン・ゲイブルズに来たアンに、マシュウは存在そのものをまるごと肯定したのです。

 アンが結婚と言う決断をするためには、「愛されて生まれてきた」ことを知る必要があると、作者は考えたのでしょう。
 「孤児ごときが」と言う態度で傷ついていたアンの自尊心が、そこでゆっくりと満たされていったのだと思います。

 実は、作者のモンゴメリには、16歳のときに出会い、22歳のときに死別したウィリー・プリチャードと言う大親友がいました。彼がギルバート・ブライスのモデルだと言われています。

 若くして病で死んでしまった幼馴染が実は生きていて、幸せになったとしたら……という「もしも」の世界が後半の物語なのでしょう。「アンの愛情」の後半は、少女小説らしいロマンチックな展開なのですが、どことなく、さみしい雰囲気がつきまとうのは、そのせいだと思います。

 大学でたくさんの友達たちと、多くのことを学び、そして、やがて再びアヴォンリーに戻ってくるアン。
少女が大人になっていく日々を鮮やかに描いています。

 それにしても、どうして自分の頭を石盤で殴った女の子を好きになったんでしょうね。(ギルバートは作中で「小学校で君が石盤を僕の頭に叩きつけて割ったあの日以来、ずっと君を愛してきたのですよ」と明言しています)
 わからない。

 ギルバートとアンに幸あれ。

繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)

 親しい友達が「肺の病」でだんだん弱って死ぬ展開があり、かなり克明に描かれているので、今の時期、病気のシーンが苦手な方にはおすすめできません。本当にご注意ください。「そういうシーンがあるのだな」と事前に身構えていれば大丈夫な方にはおすすめです。
 森や花や庭園など、自然の描写が美しく、情景が目に浮かびます。
 あたたかい紅茶をたっぷり用意して、静かな午後に読むのがおすすめの本です。

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