【白狐魔記】妖力を得た狐の時を超えたファンタジー。忠臣蔵編【小学校中学年以上】

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白狐魔記 元禄の雪  斉藤洋/作 偕成社

白狐魔丸は、白駒山の仙人に弟子入りして人間の姿に変化できるようになりました。その後も修行の結果、様々な術を扱えるようになります。妖狐となった白狐魔丸は、「人間とは何か」を知るため生き続けます。ひょんなことから赤穂の侍たちと縁を持った白狐魔丸ですが……

この本のイメージ 和ファンタジー☆☆☆☆☆  人間って……☆☆☆☆☆  噂はあてにならない☆☆☆☆☆ 

白狐魔記 元禄の雪  斉藤洋/作 偕成社

<斉藤洋>
日本のドイツ文学者、児童文学作家。亜細亜大学経営学部教授。作家として活動するときは斉藤 洋と表記する。代表作は「ルドルフとイッパイアッテナ」「白狐魔記」など。

白狐魔記 元禄の雪  斉藤洋/作 偕成社

 時を超える狐の物語、「白狐魔記」です。

 今回のあらすじは、

 元禄の世になり、「生類憐みの令」が発令され、白狐魔丸は犬のすがたに変化すると、どこへでもゆけるようになりました。そんな頃、ひょんなことで彼は、赤穂のお殿様とすれ違うように出会います。


 お殿様は根はいい人のようでしたが、かっとなると怒りを抑えられない人のようでした。

 その後、白狐魔丸は江戸で再び彼に出会い、忠臣蔵の事件に巻き込まれてしまうことになります……

 今回のおはなしは、かなり難解でした。

 白狐魔記のテーマ「人とは何か」「人間はどうして争うのか」が全面に出てきているお話でもあります。

 忠臣蔵の事件は、実際には吉良上野介はそれほどの悪人ではなく、浅野内匠頭もそれほどの名君でもなく、あのようになったのは別の事情があったのではないかという話は、歴史ミステリーとしてよく語られます。

 大石内蔵助が浅野家再興を考えていたのは史実として残っていて、あだ討ちを狙っている人間として行動に矛盾があり、なぜ討ち入りに至ったかに謎があったからです。

 この物語では、人のうわさや、周囲の人の期待で人間が本来のすがたからずれてゆく様子が描かれています。そして、それぞれの人間にはそれぞれの価値観があり、それは簡単にまじわることが難しいことも。

 浅野内匠頭はとてもいい人で、部下をかわいがり、愛される面もありながら、かっとなると怒りが止まらない人として描かれていました。
 また、おそらくは、ものごとを真正面からにしかとらえられぬ人だったのでしょう。

 吉良上野介は勅旨馳走役のご指南役で、勅旨馳走役に任命された浅野を指導する立場にあります。ここで何か事件があったようなのですが、このいきさつについて、作品内では詳しく書かれていません。

 しかし、雅姫(つねひめ)の解説によって、多少なりともわかってきます。「人に何かを教えてもらう時はそれなりの礼をするべきで、ただで教えてもらおうと思ってはいけない」。

 これ、現実にもあるあるだなあ、と思ったのですが、ジェネレーションギャップ問題ですよね。

 社内の指導教官と新人社員の関係でもそうなのですが、指導教官は新人社員を指導するための報酬は会社からもらっているわけです。だから、本来は新人社員君から報酬をもらう必要はないのですが、やはり、そこで付け届けやちょっとしたプレゼントなど、個人的なお礼をする人はかわいがられ、「それはあなたの仕事じゃないか」とあっさりしている人は「空気が読めない人」として嫌われる。実際そこで「覚えが悪い」新人くんだったら、さらに互いに遺恨が残りますよね。(昭和と平成のギャップあるある)

 昔ながらの上司と新人類くんのすれ違い。遠まわしに「感謝のしるしを見せよ」と言って冷遇するだけでは当然理解しないので、最終的に、致命的な事件が起きてしまうのです。

 その後は、事情を知らない人たちがあれこれと噂をしたり、他人の介入があることで和解の芽が摘まれてしまうことや、周囲の煽りで浅野家再興よりあだ討ちのほうに流れを変えられてゆく様子が描かれています。

 これ、現代でもマスコミがあれこれ憶測したことで、まとまるものもまとまらなかったり、余計にこじれるケースがありますが、よく似ています。

 それによって、歌舞伎や浄瑠璃などは盛んになり、大衆は喜びますが、はたして、それでよかったのか……というお話でした。


 武士ならばなによりもあだを討つべきだ、と主張する雅姫も、妖狐らしいといえばらしいし、恨みを捨て、あだ討ちせずにお家を再興するのも、それはそれで武士らしい生き方なので、どちらが正しいとも言えないとは思うのですが、この幾重にも重なり合った価値観の相違は、そんなに簡単に解決しませんでした。

 そして、そんなに簡単に解決しないのが現実なのでしょう。

 物語のなかで、吉良家と上杉家との関係も書かれ、それによって、浅野と吉良のもめごとは、もっと大きな絵図面の中にあったことが伺えます。吉良家と外様の上杉家が近づきすぎていたために、浅野家と噛み合うことで吉良家の力が衰えたほうがうれしい存在がいたかもしれないのです。

 つまり、この事件、大衆から、白狐魔丸から、雅姫から、浅野から、吉良から、そして、もっと上の存在から、それぞれの立場から見て、まったく違う事件に見えてしまうのです。


 パズルのようなお話です。
 難解ですが、読み応えはあります。

 救いはゆるゆる仙人と、老人になってもかくしゃくとして元気な煙之丞。竹崎季長もそうでしたが、著者はこのタイプが好きですね。
 「こういう人たちが長生きするタイプだよ」と言いたいのでしょう。わたしも大好きです。

 このお話は、「くのいち小桜忍法帖」とクロスオーバーしており、ここでようやく「市川桜花」の正体があきらかになります。やっぱり、この人だったんですね。
 そして、「くのいち小桜忍法帖」では、正義の味方のような雰囲気だったお庭役ですが、こっち側から見ると、なかなかどろどろしています。

 「くのいち小桜忍法帖」が人の陽を描いているとすると、「白狐魔記」では陰を描いているようです。

 字は大きく、読みやすい文章ですので、文章的には小学校中学年からお読みいただけますが、内容はかなり高度です。内容を理解するなら、高学年から。けれども、歴史に興味をもつきっかけには良いかもしれません。

 深く考えるお子様にはおすすめです。

繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)

 流血シーンも人が死ぬシーンもあります。また、なんともいえない無常観が漂います。現実の生活で深く傷ついていたり、落ち込んでいるときにはおすすめしません。ただ、深いテーマがあり、パズルのようなお話なので、感受性が鋭い方のほうが多くのことを感じ取れると思います。
 精神状態が万全のときに、チャレンジしてみてください。
 読後は、親子で歴史談義もよいかもしれません。

いつもありがとうございます

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