【だれかののぞむもの】だれかののぞむものになる不思議な存在との出会い……こそあどの森の物語第7巻。【こそあどの森の物語】【小学校中学年以上】
スキッパーたちこそあどの森の仲間たちのところへ、博物学者のバーバさんから手紙が届きます。そこには「フー」と言う不思議な生き物について書かれていました。会えるはずのない人に出会ったら、それはフーだと言うのです……
だれかののぞむもの こそあどの森の物語 岡田淳/作 理論社
<岡田淳>
日本の児童文学作家。著書『雨やどりはすべり台の下で』で産経児童出版文化賞を、『こそあどの森の物語』で野間児童文芸賞を受賞し国際アンデルセン賞の国際児童図書評議会(IBBY) オナーリストに選ばれた。翻訳家、挿絵・イラスト作家、エッセイストでもある。
「日本のムーミン谷」とも呼ばれる、「こそあどの森」シリーズ、7巻目は「だれかののぞむもの」。初版は2005年です。
「こそあどの森」シリーズは一話完結形式で、どの巻から読んでもわかるように書いてありますが、この世界観を理解するためには、まずは世界設定や住人たちを詳しく描いている第1巻を読んだほうがわかりやすいと思います。
第1巻のレビューはこちら。↓
今回のおはなしは……
スキッパーたち、こそあどの森の住人たち全員に博物学者のバーバさんから手紙が届きます。バーバさんの手紙には「フー」と言う不思議な生物のことが書かれていました。
「フー」は、遠い「ホェア」村からこそあどの森に来る可能性があるようでした。
バーバさんは、こそあどの森のみんなに、フーを助けてほしいと思って手紙を送ってきたのです。
はたして、「フー」とはなんなのか? そして、こそあどの森の仲間たちはフーを助けられるのでしょうか?
……と、いうのがあらすじ。
岡田淳先生は、長いあいだ小学校の先生をされていました。たくさんの子どもたちと何年も一緒にいて、彼らの悩みを聞いたり寄り添ったりして仕事をされてきたはず。
今回のお話はかなり深いテーマです。
「フー」は不思議な生き物で、相手の考えていること、望んでいることがわかります。テレパシーのような能力があるのです。
そのうえで、相手の望むものに変身する能力があります。しかし、変身を繰り返しすぎると、フーは自分が本来何者であったのか、忘れてしまうかもしれません。
ちいさな子どもの中には一定数、他人の心の動きを敏感に感じ取ることができる子がいます。そういう子は瞬時に目の前の大人の気持ちを察して、その人が望むような表情をし、行動をします。相手に喜んで欲しいから。
それは子どもの優しさでもあるし、小さな子の生存戦略でもあります。
そう言う子は、外側から見るととても「良い子」に見え、大人からは好かれます。
しかし、それではいけない。
その子が抱えている苦しみを岡田先生は感じ取ったのではないでしょうか。
バーバさんの手紙には、「フー」のことを心から心配した、こんな文章が綴られています。
自分を見失ったフーが森の中にいるのは、たいそう危険なことです。ウサギを食べたいと思っているオオカミに出会ったら、フーはまよわずウサギになってしまうのですから。(p97 引用)
これ、子どもには文章通りに、そして大人にはどういう意味かわかるように二重の意味で書かれていますね。
どういうわけか、よく詐欺にひっかかってしまう人がいます。パワハラ、セクハラにあいやすい人、貧乏くじを引きやすい人というのがいます。
また、家族のなかでも、負担の多い仕事や複雑で面倒なことをまかされやすい子がいます。割をくっているのに大変そうに見えないし不満も言わないので、周囲の人々にはわからないのです。
そう言う人が大変なことをしているのに大変そうに見えないのは、先回りをして行動しているからです。
人間の細かな気持ちを察知して事前に動いているので、行動が能率的で場合によってはきびきびとしているため、楽しそうにみえることすらあります。ダラダラノロノロと嫌そうに動いたりしないから、不満や辛さが他人に伝わりにくい。
どうして彼らがそうするのかというと、ニコニコして楽しそうにしていたほうが周囲が喜ぶから。
だから、他人より苦労を背負い込みがちなのに、それがあまり周囲に伝わりません。
むしろ、いつもイライラして不平不満を言っている人のほうが、余計な負担を背負い込まずにいられる場合すらあります。もちろんそう言う人は、あまり人として好かれませんが、メンタルが強いのでそんなことはへいちゃらだったりもします。
他人の気持ちを思いやらなくて不平不満ばかりでいいかというと、もちろんそうではないのですが、他人の気持ちに敏感で相手の望みをかなえようと頑張りすぎると、幸せから遠ざかってしまいます。
バーバさんの手紙にある、「森でオオカミに出会ったときにまよわずウサギになってしまう」と言うのは、大人ならどういう意味かわかりますよね。危険です。
少し脱線してしまいますが、漫画「ワンピース」にベビー5と言うかわいい女の子が登場します。
彼女はとても明るくて気立てがいい、素直な子なのですが、自分を必要としてくれる人のためには、命すら投げ出してしまう危ういところがある。漫画なのでかなりオーバーに描かれていますが、こんなふうに極端に描かれてはじめて、いつもニコニコしていて素直で可愛らしい子の不安定さ危うさがようやく読者に伝わるのかもしれません。
大人になってから、様々な生きづらさを感じてしまう人は、大人になってからいきなりそう言う人になったわけではありません。子どもの頃から徴候はあるのです。
しかしその頃、そう言う子は「理想的な子ども」だと思われているため、その問題は解決されず先送りになってしまいます。
岡田先生は何人も、心配な子を送り出したのではないでしょうか。
「だれかののぞむもの」は、子どもが読んでも大人が読んでも、それぞれの深度で読み込むことができるように書かれており、考えさせられることの多い物語です。
しかし、岡田先生は「フーはフーでいい」と書いています。別の生き物になろうとしなくてもいい。繊細で相手の気持ちが読めても、相手の望みをかなえようと言うやさしさがあっても、そして、かなえてしまう力があってもいいと書いています。
わたしもそう思います。それはその人たちのとても良いところ。捨てる必要は無いと思います。
そのうえで、自分を見失わずに自分の選択で「どんな望みをかなえるか」を自分で決めていいのだと思います。
とても良い物語です。
ラストシーンはトマトさんの作ったおいしいスープ。
ある種の人にはとても励まされる物語です。必要な人に届きますように。
繊細な方へ(HSPのためのブックガイド)
おすすめです。ネガティブな要素はありません。HSPやHSCが抱えがちな悩みや苦しみに寄り添い、励ましてくれる物語です。今回のふたごの名前はパセリとセロリ(自分メモ)
自分の気持ちよりついつい他人の気持ちを優先しがちな人、誰かの望みを叶えたいと思ってしまう人に。大丈夫、その生き方は否定されません。バランスをとろうというお話です。
読後は、ジャガイモときのこに入った温かいスープが食べたくなるかも。
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